鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑)
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 教員生活の中で心が疲弊してしまったと話す、小学校担任の34歳男性。トラブルに対する責任が重く、これまで生徒たちと築き上げてきたものがすべてなくなってしまうように感じて仕事に対する自信を無くしてしまったという。そんな男性に鴻上尚史が伝えた「人を育てる努力は、結果と比例しない」という言葉の意味とは。

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【相談250】

 教員生活で心が疲弊し、学級担任として仕事をする自信を無くしてしまいました(34歳 男性 奮闘中)

 小学校で5年生の担任をしています。教員生活も10年目。子どもたちの成長を間近で感じることができる楽しさを感じる一方で、授業準備、保護者への対応、トラブル対応などの多さに、心が疲弊していることも感じております。先日、クラス内で物隠しがありました。担任をしていると、よくあることと言ってはいけませんが、これまでもそのようなことはありました。

 もちろんこのようなことが起きないように普段から安定した学級経営を心掛けております。今年度も残り僅か。大きなトラブルもあったなか、なんとか乗り越え、子どもたちも成長し、誰1 人かけることなく新年度を迎えようとしていた矢先のことでした。起きてしまったことは仕方ありません。すぐに管理職、学年の先生たちに報告し対策を考え行動に移しました。その日のうちに、物を隠した児童が判明し、保護者にも連絡。盗まれた児童、保護者にも連絡し、その日のうちに謝罪をしていただきました。取られた児童の1 人は、謝罪を受け入れたのですが、もう1 人の児童はあまりのショックに謝罪は受け入れられませんでした。もちろん、無理に謝罪を受け入れる必要はありません。

 それほど犯した罪は大きく、謝って許される問題ではないからです。取られた児童への心のケアを大事にし、そばに寄り添い、励まし、なんとか次の日に学校に来れることを願い、その児童とはさよならをしました。もともと、欠席がちな児童でしたが、その児童とは1年間で関係を築き、ことあるごとに、来年も先生がいいな。今年は初めて学校が楽しい!と言ってくれていた児童でした。そのため、今回の出来事はあまりにもショックが大きく、明日から登校を渋ることになってしまうのではないかという不安がありました。その不安は的中し、翌日以降、登校できなくなりました。児童は、加害児童はもちろん、担任の私にも会いたくないと話し、学校に来なくなりました。築き上げた関係が一瞬で崩壊し、自分が防げなかったことに後悔と苛立ちを日々感じております。加害児童もまた、登校できなくなりました。家庭環境が複雑で、保護者とも密に連絡をとり、関係を築き上げてきたなかで、被害児童、加害児童の2 人が登校できなくなってしまいました。

 もちろん、このことは他の保護者にも子ども経由で伝わっています。なにがあったんですか?本当ですか?そんな連絡が毎日のようにあります。責められるのは仕方ありません。全て担任の責任です。しかし、これまでやってきたことがこんなにも一瞬で崩壊してしまうのかと思うと、怖くなり、出勤することが日々億劫になっております。私は、先生としてどうすれば良いのか。このようなトラブルを防げない私は先生という職業を辞めた方がいいのではないか。

 そんなことを毎日考えてしまっています。鴻上先生。私はこれから教師という職業を続けてもよいのでしょうか。この職業はしんどいこともたくさんありますが、私は嫌いではありません。でも、担任として続けていくことへの自信がなくなってしまっています。こんな状況で、続けてしまってもよろしいのでしょうか。アドバイスいただければ嬉しいです。お忙しいところ、長文、失礼しました。

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