奮闘中さん。

 22歳から、何度かそういう体験をするうちに気づいたのは、「人を育てる努力は、結果と比例しない」ということでした。

 ある技術を習得すること、産業とかスポーツとか芸術とかの分野は、努力と結果は比例すると思います。もちろん、人によって、上達の速度や到達するレベルは違いますが、努力すればするだけ、ある結果を生みます。

 ただ、「人間を育てる」ということは、どんなに努力しても結果につながらないことがあるんだと、僕は気づいたのです。

 Aという俳優には、1000時間演出した。Bという俳優は、5時間しか演出しなかった。だから、AはBよりうまくなったし、売れたーーというなら、とても分かりやすい世界です。

 でも、現実は、Aが、突然、俳優を辞めると言ったりするのです。

「人を育てる努力は、結果と比例しない」という思いは、はっきり言えば、諦めでもあります。諦めですが、「だからもうやらない」ということではありません。人を育てようとしながら、どこかで、「これは結果につながらないかもしれない」と思いながら、なおかつ、努力を続けるという認識です。

「全てがコントロールできるのなら、全ての責任は自分にある。でも、相手は人間だから、全てをコントロールできないし、コントロールしようとしてはいけない」ということです。

 奮闘中さんは、10年、教師を続けられているのですね。その間に、尊敬できる教師、見習いたい教師に出会いましたか?そして、それを取り入れようとしましたか?

 そして、奮闘中さんの今の教師としての実力はどれぐらいですか?

 奮闘中さんが「全ては担任の責任」ということを、管理職や口うるさい保護者向けに言っているのではなく、本心からそう思っているのだとしたら、ぜひ、周りの信用できる教師仲間に問いかけてみることをお勧めします。

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