
奮闘中さんは、「全て担任の責任です」と書かれていますが、本当に「全て」なのでしょうか。
僕は、22歳から、俳優が「辞めます」と言うたびに、心が折れそうになり、その後、「いったい、僕の何が悪かったんだろう」と考えました。
「演出が強引だったんだろうか」「演出が甘すぎたんだろうか」「舞台以外のアドバイスが過剰だったんだろうか」「僕自身の人間の器が小さすぎて、人間的にダメだったからだろうか」
自分だけで考えても分からないので、「劇団を辞める」「俳優を辞める」という俳優ととことん話し合いました。事情を教えてくれ、いったい僕の何が悪かったのか正直に言って欲しい、僕の演出のどこがおかしいと感じたのか言って欲しいと頼みました。
同時に、自分の演出を知るために、他の演出家さんの現場をできる限り見ました。演出の仕方、所属の劇団員との接し方、日常の言葉使い。
22歳で劇団を作ってからの数年間は、あたふたして、混乱して、なかなか事態は見極められませんでしたが、やがて、ゆっくりと、いろんなことが見えてきました。
結論として、俳優が辞めたいという場合、「全て演出の責任です」という言葉でまとめられないし、まとめてはいけないと思うようになりました。
もちろん、これは「危険な判断」です。「全て演出家の責任」なのにそれを認めないということを続ければ、間違いなく、辞める俳優が続出して、組織は崩壊するでしょう。崩壊しないまでも、集団はギスギスして、笑顔が見れらない人達の集まりになるでしょう。
でも、僕が「全ては演出家の責任」だとは断定できないと思ったのは、その当時、劇団がちゃんと運営されていると感じていたからです。辞めていく俳優より入団希望者の方がはるかに多く、楽しく演劇を作っているという「実感」がありました。
俳優が辞めていく理由が「全て演出家の責任」である劇団が、崩壊もせず、続くはずはないと思ったのです。
もちろん、演出家の責任が0だと言っているのではありません。話し会うことで、「劇団を辞める」「俳優を辞める」にはいろんな理由があると気づきました。
本人のさまざまな事情、実家の事情だったり、未来への不安だったり、パートナーの要請だったり、経済的な問題だったり、さまざまですが、それは「全て演出家の責任」とは言えないケースです。言ってはいけないケースだとも思います。
そう言ってしまったら、演出家は、まるで全能の立場で、相手の家庭の事情とかパートナーとの関係までコントロールできるという前提になってしまうからです。