阪神時代の平塚克洋
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 昨季パ・リーグを制したソフトバンク山川穂高と近藤健介、セ・リーグを制した巨人岡本和真丸佳浩といった具合に、優勝するチームには、頼りになる強打者が存在する。その一方で、優勝と縁のない万年Bクラスや暗黒期のチームにも、孤軍奮闘したり、短い期間ながら活躍した強打者たちがいた。

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 19年間の現役生活で、1度も優勝争いに絡めず、2位1度、3位2度を除いて、万年Bクラスだったチームにあって、長く主砲を務めたのが、大洋・田代富雄だ。

 1972年のドラフト3位で入団した田代は、77年に5試合連続弾を含む35本塁打を記録し、長距離砲として覚醒。豪快なスイングから弾き出される打球は、美しい放物線を描きながら長い滞空時間を経てスタンドに飛び込む独特のものだった。

 だが、3度にわたってリーグ最多三振を記録するなど、典型的な「ホームランか三振か」という“人間扇風機”でもあり、好調時と不調時の落差も大きかった。

 79年は開幕戦のヤクルト戦でリーグ初の3打席連続弾を放ち、この勢いならシーズン40本塁打以上も達成できると思われた。ところが、シーズン最後の5試合ですべて併殺打を記録するなど、尻すぼみに終わり、本塁打も19本にとどまった。

 翌80年は球団新記録の36本塁打を放ち、5月18日のヤクルト戦では、サヨナラ場外弾を含む3打席連続本塁打の快挙も達成。94打点を挙げ、打率.297を記録したが、最後までタイトルとは無縁だった。

 91年、37歳の田代は、引退試合となった10月10日の阪神戦の現役最終打席で、葛西稔から左翼席中段に全盛時を彷彿とさせる滞空時間の長い満塁本塁打を放ち、最高の形で有終の美を飾った。

「こういう形で現役を終えられるとは……。幸せです。王さんの868本に比べれば、大したことないけど、278回はファンの方に夢を与えられたと思う」と感激に打ち震えた田代だったが、チームの先輩・松原誠は、ホームランバッターとして天性の素質を持つ田代が通算278本で終わったことを「もったいない」と残念がった。

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“暗黒時代”の阪神で助っ人たちに代わって孤軍奮闘