10日放送のNHK大河ドラマ「光る君へ」は、第43話「輝きののちに」。千年の時を超えたベストセラーとなった「源氏物語」を書き続けた紫式部(吉高由里子)と、時の権力者・藤原道長(柄本佑)との関係を軸に、平安時代に生きた人たちの姿が描かれている本作品。紫式部が身を置いた平安貴族の世界は、どんなものだったのか。『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)からの記事を、あらためて紹介する(この記事は「AERA dot.」に2024年1月7日に掲載した記事の再配信です)。
(2024年11月10日更新)
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2024年の大河ドラマは、吉高由里子演じる紫式部が主人公の「光る君へ」。紫式部と藤原道長の関係を軸に、1000年の時を超えて読み継がれるベストセラーとなった『源氏物語』はいかにして生み出されたのかを描く。
1月7日の初回放送を前に、紫式部が身を置いた平安貴族の世界の実際を、『出来事と文化が同時にわかる 平安時代』(監修 伊藤賀一/編集 かみゆ歴史編集部)で予習しておきたい。今回は、食について。
食の楽しみは、現代も平安時代も変わらない。平安貴族の主食は、やはりお米。米を蒸した「強飯(こわいい)」や、現代同様に白米を炊いた「姫飯(ひめいい)」、お粥状の「汁粥(しるかゆ)」、蒸し米に湯や水をかけて食べる「湯漬け」「水飯(すいはん)」など、さまざまな食べ方があった。お祝いの場では、餅も振る舞われた。
米と合わせて食べるおかずは、漬物、「羹(あつもの)」と呼ばれる汁もの、そして魚。意外なことに、肉料理も食卓に上った。当時の肉料理は、牛や豚ではなくキジ。生でも食べていたというから驚く。木の実や果物、季節の野菜、海藻類なども、日常食だった。
牛乳を煮詰めて固形にしたチーズのようなものも食べていた。「蘇」と呼ばれ、薬として扱われた。高級品のため、天皇や一部の上級貴族しか食べられなかったという。
さらに平安貴族たちは、お菓子などの嗜好品も口にしていた。米粉や小麦粉を練って油で揚げた「唐(から)菓子」のほか、氷室に保管した氷を削って密をかけて食べるかき氷などは希少なぜいたく品だった。
平安貴族の食生活で、現代人と大きく異なるのは、食事の回数だ。当時は1日2回が基本。ときどき、朝は簡単な軽食を取る、というスタイルだった。
ただし、1食のお米はお皿にてんこ盛り。加えて、お菓子や果物なども食べていたため、平安貴族は脚気や糖尿病といった病に悩まされていた。現代でいう、生活習慣病だ。医学は未発達だったので、こうした病で命を落とすことも多かったようだ。
一方、庶民たちはお菓子など口にできず、白米を食べる機会も少なく、日常食は雑穀米と漬物、ときどきキジ肉、といった質素なもの。雑穀米は白米よりも栄養価が高く、農業などで毎日、体を動かしていた。そのため、皮肉なことに貴族よりも庶民のほうが、健康的な食生活を送っていたようだ。
(構成 生活・文化編集部 上原千穂 永井優希/イラスト 夏江まみ)