高橋一(たかはし・まこと)/2009年、多摩美術大学にて8人組のソウルバンド、思い出野郎Aチームを結成。Trumpet, Voを担当。2021年の新木場スタジオコーストでのワンマンライブから、サポートミュージシャンと手話通訳をメンバーに加えた編成でも活動中(撮影/小財美香子)

 その前から差別などに対する問題意識はあったんですが、社会を取り巻く状況の変化に対する「ヤバいな」という思いが強くなってきて。差別の問題はずっと続いているし、SNSなどでヘイトスピーチが以前よりも可視化されるようになってしまった。そういうことに触れないまま“ソウルバンド”を名乗っているのはどうなんだろう?と。ダンスミュージックにはプロテスト(異議申し立て、抗議)的な側面があるし、ジャズ、ソウル、ファンクはアフリカ系のミュージシャンたちが、差別に抗いながら作ってきた音楽でもある。そういう音楽に影響を受けてバンドをやっているんだから、今の社会の問題を避けて通れないと思ったんです。

 自分たちにとっては自然な流れでしたし、日本にもアーティストがそういうメッセージを発信してきた前例はありますからね。忌野清志郎さんの歌もそうだし、僕らが影響を受けているTOKYO SOY SOURCEというイベント(※)の出演者であるMUTE BEATのこだま和文さんは継続的にさまざまなメッセージを発信してますし、DJをやっていたいとうせいこうさんは、その後も社会的な発言や作品作りを積極的に行っていて、すごく勇気をもらっています。(※1986年から1988年にかけて行われていた音楽イベント。JAGATARA、MUTE BEAT、TOMATOS、s-ken & hot bombomsなどダブ、ファンク、ラテン系のバンドが出演していた)

最悪の状況を変えられるのはシチズンシップだと思った

――マコイチさんは「それはかつてあって 2024」をリリースした際のステイトメントに「思い立ってから随分時間がかかってしまった」と書かれていました。時間がかかった理由は?

 何かやらなきゃという思いはずっとあったんですが、ガザの状況に目を向けるのがつらい時期があったんです。一昨年、子どもが生まれて、子どもが育っていくタイミングとガザへの侵攻が重なって。ジェノサイドが始まってからは、現地の子どもたちの様子がSNSなどで次々と伝わってきたのですが、どうしても直視できなかった。自己防衛というか、ちょっと遠ざけてしまったところがあったと思います。個人で署名や寄付をしてはいたのですが、情報を発信したり、より連帯を呼びかけるようなことはほとんどしていませんでした。しかし、どんどん状況は悪化していくので、すぐにでも何かやる必要はあったわけで、同じレーベルのmei eharaが以前からやっていたパレスチナ支援の募金を我々のライブ会場でも置かせてもらったりしていました。

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