工藤は家業を通じて、学歴の通用しない世界があることも熟知している。生徒には進学で希望が叶わなくとも、生きる中で自信を持てる何かを見いだしてほしいと願う(写真/倉田貴志)

 36歳で事務長に就任してみると、学校が13億円超の赤字を抱えていることが分かった。仰天した工藤は、経営に大ナタを振るうことを決意する。

 保護者と教員に自ら財務状況を説明した上で、事務作業の電算化や、教員に対する諸手当の見直しなどのコストダウンを進めていった。教育も経営も、改革に当たっては「過去にしがみつかず、新しいことをまずはやってみて、走りながらほころびを改善していく」のが、工藤のやり方だ。

 自分が教わった恩師たちを向こうに回して団体交渉に臨むなど、事務長として憎まれ役を務めたこともしばしばだ。しかし家業ではお金を貸した相手に「自殺するぞ」と泣きつかれたこともあれば、仕事がなくなってピンチに陥った時、工藤の方から取引先に懇願して、仕事を回してもらったこともあり、企業の修羅場に比べれば、労使のもめごとも大したことはないと思えた。

「財務が分かるので、設備投資や教育改革などについても必要なコストを算出し、現実的なプランを描けたと思います」

 こうして数年かけて借金を返済。2014年に新校舎を建設した際は、建設費65億円のうち30億円を自己資金と寄付で賄えるまでに、財政を立て直した。

複数のタスクへの挑戦が人生の糧になっていく

 2004年には校長へと就任。「聖光塾」などの課外教育を充実させると同時に、帰国子女を対象とした英語のクラスを導入したり、習熟度別にクラスを分けて個別指導や補習も行ったりと、教育の底上げにも取り組んだ。生徒に「グローバルの水準」を経験させるため、欧米やアジアなどでの海外研修も多数設けた。

 日本の教育現場は、野球なら野球と一つのものに打ち込むことを良しとしがちだが、工藤は自分の在校中の経験から「多様な体験が人生の糧になる」と考え、生徒たちにも「部活も芸術活動も勉強も、ちょっと無理していろんなことをやってみよう」と呼び掛ける。

「いろんなことに挑戦すれば、複数のタスクを整理し優先順位をつけることや、それぞれへの時間配分もうまくなる。生徒にも教員にも20年以上『複線の人生を設計しよう』と言い続け、校風としても根付いてきたと思います」

(文中敬称略)(文・有馬知子)

※記事の続きはAERA 2024年9月23日号でご覧いただけます

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