中学校から聖光で学ぶ 高3で「ミスター聖光祭」に
一方で聖光は学習面でも、保護者や生徒から「塾いらず」と言われ「面倒見のいい学校」として知られる。42年間勤務するベテラン教員、渋谷秀明(64)は「課題や小テストを通じて、生徒にコツコツ学習する習慣を身に付けさせるのが本校のやり方。長い時間をかけて『周りもやっているから勉強しなきゃ』という雰囲気をつくってきたのです」と説明した。こうした取り組みによって少しずつ東大合格者が増え、それを見てさらに優秀な生徒が集まる、という好循環が生まれた。
教育ジャーナリストのおおたとしまさは「工藤先生は、どちらかと言えば生徒や教師陣のやりたいことをサポートする『サーバントタイプ』のリーダー」だと評する。
「トップダウンのリーダーが急速に推し進めた改革は、トップが代わると覆ることもある。しかし工藤先生が教師陣とともに積み重ねた地道な取り組みは、文化として根付いているがゆえに簡単には失われない。これこそが本当の意味での学校改革だと思います」
工藤は1955年、横浜市鶴見区で生まれた。祖父が中小企業を創業しており、祖父母と父母、長男の工藤と弟の3世代が、工場と隣接する自宅で暮らしていた。
「自宅に電化製品が届くのは必ず工場が休みの日曜。従業員が『社長はテレビを買う余裕があるのに、給料は上げてくれない』といった不満を抱くのを防ぐためです。育った環境を通じて、商いの機微が体に染みついた面はあります」
公立の小学校から聖光へと入学したのは、教師の勧めもあったが、自宅前を通る聖光生の制服姿に母親がほれ込んだことも一因だ。カトリックの学校である聖光は「紳士たれ」を校訓に掲げ、制服もスイスの小学校を参考にしたデザイン。クリスマスにはグレゴリー・ペックの映画を生徒に見せるような、リベラルな気風もあった。
工藤は聖光中学に進学すると、クラシック音楽や絵画、文学に親しんだ。小説家にあこがれ、中2の時には仲間と同人誌も作った。毎年恒例のキャンプにも魅せられ、校長になった今でも毎年、現地に行き生徒と寝食を共にしている。
中3になると聖光祭の運営委員に立候補し、高2では運営委員長を務めた。イベントの準備やパンフレットづくりなどに、夜の10時、11時まで奔走し、高3のときには後輩たちから「ミスター聖光祭」として表彰もされたという。