山に例えると、世界的なピアニストは、頂上です。頂上を高くするためには、すそ野が広がっていなければ、高くなりません。すそ野が狭いのに、高い山はありえないからです。

 つまり、どんな業界でも、発展するためには、縦と横の「二つの方向」が必要不可欠なのです。

 このことに、まずスポーツ業界が気付きました。競技人口が増えなければ、頂点も上がらないということです。ですから、頂点だけを目指したハードなエリート教育だけではなく、ジャンルそのものに親しんでもらえる指導やコーチングが必要だと修正する人が増えたのです。

 芸術業界はまだ充分に気付いていません。

 有名なピアニストになれなければ、プロの俳優になれなければ、失敗だったと本人も周りも考えがちなのです。

 でも、演劇界で言えば、初めて見る演劇が、地域劇団、社会人劇団の公演という人は多いです。

 そこで「演劇は面白い」と思ってもらえて、初めて演劇界のすそ野は広がるのです。もし、「演劇なんかつまんない」と思われたら、すそ野も頂上も、狭く、低いものになってしまうのです。

 つまり、アマチュアだから重要性が低く、プロだから価値がある、なんてことではないのです。

 プロの演劇もアマチュアの演劇も、共に、演劇界のためには、必要で重要なのです。

 それでね、トランスさん。

 そんなアマチュアの劇団で、僕は、何人も「演劇の稽古に参加して、生きがいを感じるようになった」と言う人に会いました。

 トランスさんも夫も知っているように、演劇にはそれだけの魅力があるのです。もちろん、他のジャンルも同じです。演劇だけが特権的に優れているのではありません。ダンスも音楽もサッカーもバスケも、仕事をしながら「生きがい」として楽しむ人はたくさんいます。仕事はお金を稼ぐための手段と割り切って、仕事以外の時間で「生きがい」を見つけた人達です。

 どうですか、トランスさん。

 トランスさんの地域にも、きっと社会人劇団はあると思います。「試しにのぞいてみない?」なんて提案を夫にしてみるのはどうでしょうか。

 アマチュアとして、もう一度演劇とつながるのも、素敵なことだと僕は思います。

 トランスさん。この二つが僕のアドバイスです。

 どちらかがうまくいって、夫の気持ちが変わることを心から願っています。

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鴻上尚史

鴻上尚史

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、また本連載を書籍にした『鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』がある。Twitter(@KOKAMIShoji)も随時更新中

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