鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑)
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 役者だった夫が、引退後の働くだけの日常にやりがいを見いだせず、暗くなってしまったと話す49歳女性。女性自身も夫にどう言葉をかけるべきなのかわからなくなってしまったという。そんな女性に、鴻上尚史が贈る、2つの「幸せの作り方」とは

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【相談233】

 俳優をやめた夫が、家のローンを払うためだけに働く毎日にやりがいを見いだせなくなり、暗くなってしまいました。どうしたら夫に光を取り戻せるでしょうか(49歳 女性 トランス)

 鴻上尚史さま初めてご相談させていただきます。 49 歳、毎日パートをしている主婦です。子どもはおりません。夫と2 人で生きております。

 私は、10年前まで、役者でした。役者さんの多くがそうであるように、私も完全なる役者バカでした。役者のみで生活はできませんでしたが、それでもたくさんの舞台に立たせていただきました。鴻上尚史さんの「トランス」に心震わせ、戯曲を購入し、この本だけは、未だに持っております。 10 年前に、私が役者を廃業したのは、病気をし、日常生活をおくれるくらいには回復したものの、役者業を続けられるほどには体力が回復しなかったからです。おそらく、私の体力は、良くて現状維持、年とともに衰えるでしょう。そして、役者に復帰することはできないでしょう。それは私の、役者としての限界なのです。

 前置きが長くなりましたが、ご相談は私の配偶者、夫のことでございます。夫の相談なのに、前置きで私事をお話しましたのは、そのほうが夫と私の関係性をお伝えしやすいかと思ったからなのです。夫は現在42歳、かつて、俳優でした。やはり、役者バカでした。良い役者バカでした。夫と私は10年前に結婚をし、同時にふたりとも、事実上役者を廃業しました。昨年、夫はアルバイトから正社員になりました。夫はアルバイトをしていた会社の上司にみとめられたのです。故に、正社員になりました。彼の努力の賜物です。そして小さい家をもちました。家のローンを組みました。今年、夫は悩み始めました。正確には、ずっと胸に抱えていた違和感が、悩みとなって爆発し、夫をさいなんでいるのです。

 「自分はいま42歳、これから65歳まで、家のローンのためだけに、働かなきゃいけないのか。これで生きていると言えるのか。会社を辞めたい。でもローンがある、そんなことはできない。転職してやりがいのある仕事につきたい、しかしこの年齢で、受け入れてくれる会社があるとは思ってない。どうしていいかわからない」。

 夫は仕事は続けていますが、食事はあまり食べなくなりました。常に悩み、笑顔が消えました。彼も私も、かつて役者でした。その頃は、自分が何者であるかも、いま生きている意味も知っていました。彼は、いま、何者でもない自分に苦しみ、ローンに追われるだけ(と、かれは感じている)の毎日にやりがいを見いだせず、生きている実感を失ってしまったのです。私は、彼にどう接していいか、どう言葉をかけるべきなのか、わからなくなりました。私も言葉は尽くしました。でも、彼には響きませんでした。

 鴻上さんに伺いたいのです、彼に、なんと伝えていけばいいのでしょうか、どんな態度をとればいいのでしょうか。彼に言いたくない言葉はあります。”皆そうして生きてるんだ”とか、”ささやかな幸せを見つめるんだ”とか、そんなことは伝えたくありません。

 私の場合で恐縮ですが、だいたい、持病はあれどそこそこ健康で好きな夫と暮らせて、それのどこが「ささやかな幸せ」なのでしょう?私にとっては、もう「最高の幸せ」なのです。だって、健康で、好きな人が一緒にいてくれて、笑顔でいられたら、もう、最高に幸せなんです。たしかに、舞台に立つ幸せとは、タイプが異なるものでしょう。舞台に立ったときの、世界の謎がすべてクリアになったような、魂が震える感覚は、日常生活で感じるものではありません。ですが、私は、彼に出会えて、この世の中もまだ捨てたもんじゃないと、思ったものです。最高に幸せなのです。夫にも、しあわせになって欲しいのです。夫はどうすればいいのでしょう。私は夫になんと声をかければいいのでしょう。

 私もバイトはしておりますが、生計は夫に頼る部分が多くあります。私も稼げればいいのですが、体調の関係で正社員は難しく、低賃金に甘んじているという現実があります。それも、彼にとっては重荷に感じられるのだと思うのです。だって、彼一人なら、自由に生きられたはずなのですから。鴻上尚史さん、どうか、彼にかける言葉を、彼に必要な私の態度を、教えてくださいませ。何とぞよろしくお願いいたします。

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鴻上尚史

鴻上尚史

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、また本連載を書籍にした『鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』がある。Twitter(@KOKAMIShoji)も随時更新中

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