たとえば、コップというひとつの物体は、べつだんそれを「コップ」とよばなくてもいいはずで、「ガラス製品」とか「日用品」とか「グラス」とかよんでもかまわない。水が入ったコップは「キラキラとしたきれいなもの」というものでもある。それなのに、ふだんはコップを「コップ」として片付ける。

 すなわち、私たちはコップというものをたくさんの言葉(イメージ)の集合性によって理解しているにもかかわらず、それらを「コップ」という単一の知識ラベルでもって認識できるようにしているのである。

 では、コップ、グラス、日用品、ガラス製品、きらきらしたもの、などは何かといえば、それも知識ラベルである。コップをとりまいて、そういういくつもの知識ラベルがネットワーク状に密集しているのだと考えればよい。

 脳の中では、これらの知識ラベルは一応は別々のところに貼られている。そして、それらの知識ラベルはその奥にまたいくつもの知識ラベルをこまごまと引き連れている。どれが親ラベルで、どれが子ラベルで、どれが孫ラベルであるかということは、はっきりしない。というよりも、あえて主従関係をつくらないようにしていると見るべきである。

 自分で適当な連想ゲームをしてみるとよい。「コップ」から連想されるのが「日用品」や「ガラス製品」であっても、「日用品」から連想されるのは必ずしも「コップ」ではなくて、「歯ブラシ」とか「たわし」とか「モップ」であるかもしれず、「ガラス製品」から連想されるのは「しびん」であるかもしれないのだ。しかも「モップ」からは「掃除」が派生し、「しびん」からは「病院」が出てくる。

 つまり、私たちの知識ラベルは脳の中ではかなり複雑なリンクを張っていて、その一端にひっかかっている端末の知識ラベルをクリックしただけでは、何が出てくるのやらわからないほどなのだ。これを編集工学では〈ハイパーリンク状態〉という。この用語はテッド・ネルソンによるものだ。

 しかし、いったん連想を開始してみると、とたんに、それらはみごとに情報連鎖の線(リンク)を通してつながってくる。別々のところに貼られているラベルなのに、そこにはあたかもあらかじめ無数の線が張りめぐらされていたかのようなのだ。

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「考える」ということの正体