ようするに「注意」を向けたところが「仮の親」になり、次々に子ラベルを、その子ラベルが孫ラベルを引き出してくるのである。このとき、脳の中で注意を向けられた「仮の親」が「図」になっていく。

 脳というものはそうなっている。

 脳の中は、知識やイメージを無数の「図」のリンクを張りめぐらしているハイパーリンクなのである。これを〈意味単位のネットワーク〉とよぶことにする。コップはひとつの意味単位であり、ガラス製品もひとつの意味単位である。それらが次々につながり、ネットワークをつくっている。けれども、そのネットワークは一層的ではない。多層的(マルチレイヤー的)で、立体的である。そのため、これはえらそうな思想家たちがしばしば口にすることであるが、「言語は多義的である」などと感じられることになる。

 このような〈意味単位のネットワーク〉を進むことを、私たちはごく一般的に「考える」と言っている。「考える」とは、ひとまずネットワークの中の「図」のリンクをたどってみるということなのだ。

 ただし、ここでひとつ重大な問題が出てくる。それは、ネットワークを進むにしても、どの道筋を進むかということである。つまりどこで分岐するかということだ。それによっては千差万別の考え方になってしまう。そこで、ある道筋を進んだとして、そこで「あっ、これはちがうぞ」とおもって、ひとつ手前の分岐点に引き返すというようなことがおこることになる。もっと以前の分岐点にまで戻ることもある。何度も引き返しはおこることだろう。

 このジグザグした進行が、「考える」ということの正体なのだ。それが〈ハイパーリンク状態〉である。思想とは、畢竟、そのジグザグとした進行の航跡のことにほかならない。

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松岡正剛

松岡正剛

1944年、京都府生まれ。早稲田大学文学部中退。オブジェマガジン「遊」編集長、東京大学客員教授、帝塚山学院大学教授などを経て、現在、編集工学研究所所長、イシス編集学校校長、角川武蔵野ミュージアム館長。80年代「編集工学」を創始し、日本文化、経済文化、物語文化、自然科学、生命科学、宇宙、デザイン、意匠図像、文字などの諸分野をまたいで関係性をつなぐ研究に従事。その成果を、様々な企画、編集、クリエイティブに展開。一方、日本文化研究の第一人者として私塾を多数開催。

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