私たちにも似たような「地」と「図」の混乱はおきている。
机の上のコップやケータイならまだしも、ちょっとめんどうな現象の説明になると、たちまちにして「地」と「図」を分けられなくなることが少なくない。たとえば「最近の日本経済の動向について」という話題では、「ええっと、大企業は成長がとまっているし、政府の経済政策もさっぱりで、おまけにアメリカからの外圧も激しいうえに、アジアの、たとえば中国の急成長なんかもあって……」などと、しどろもどろなのである。とくに不得意な分野には〈編集的情報圧縮〉がおこりにくくなる。
一本の草花を前にしても、同じことがおこる。「この植物について詳しく観察してください」などと言われると、何が情報の「地」で何を情報の「図」にするか、うまく説明できなくなる。そこに茎があり、葉があり、花があること以上に観察を分化できないのだ。
けれども日常生活はそれで困らない。誕生日にたくさんの花をもらっても、そのいちいちの花の名前がわからずとも、「ああ、きれいな赤い花だなあ」とおもっていればすむ。私たちは体験や経験を編集的に取り出すことを訓練していないのだ。
このような私たちの「注意のしかた」の濃淡をもっと気をつけて見ると、おもしろい問題がたくさん出てくる。