「知の巨人」と呼ばれた著述家の松岡正剛さんが亡くなった。80歳だった。故人を偲び、著書の一部を抜粋して再編集し、その思考の一端を紹介する(この記事は2023年11月4日に配信した内容の再掲です)。
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報告書や提案書など、日々の仕事で多くの人が必要とされている編集力。それには情報を整理する能力が必要だ。我々は情報を整理するとき、どのような道筋で「考えて」いるのだろうか。編集工学研究所所長の松岡正剛氏が『[増補版]知の編集工学 』 (朝日文庫)から一部を抜粋、再編集して解説する。
私たちはだいたい一日十四、五時間を起きて生活している。いま、そのきのうの一日を思い出してみる。たとえば「朝起きて、顔を洗い、新聞を読みながらトーストを食べ、ちょっと雑談をして学校や会社へ行って……」というふうに。
一日を思い出すのに、きのう一日ぶんの十四、五時間がかかるわけではない。一日ぶん思い出すのに一日をかけていたら、たいへんだ。マルセル・プルーストやポール・オースターの小説の登場人物のようにいつまでたっても思い出の中に生きていることになる。だから、誰もそんなことはしない。もっと速く思い出す。けれども、じつは一時間をかけて思い出すことも、ふつうの人には耐えられないものなのである。せいぜい五分か六分で、思い出すことになる。
これは私たちのアタマの中で、一日の出来事が五、六分程度にダイジェストできることを示している。すなわち、十四、五時間の情報は、たかだか五、六分の情報に短縮できるのだ。