子どもにも「不便と向き合う力」はある

 友人たちが母になるのを見て来た身からすれば、子育てによって自分の人生の欲望を犠牲にしてほしくないと思うものですが、娘だった立場で、母の恋愛や性欲を疑問なしに受け入れられただろうかと考えると、確かに抵抗したり拒絶したりする時期もあったかもしれません。

 でも、だから何、とも思います。子どもに積極的に嫌な思いをさせたいと思う人は少ないでしょうが、人と人が共同生活をしている以上、親子であっても何か気に入らないことがあったり、何かに折り合いをつけなければならなかったり、悔しい思いや寂しい思いをすることはあるのが普通です。そして子どもだっていつまでも赤ちゃんではないのだから、自分の与えられた状況で自分の快適さや幸福を追求したり、嫌なことと向き合う能力を身につけたりするはずです。母親だからこれをしてはいけないと自分へ制限をかけることは、子どものそういう力を見くびることにもなりかねない気がします。

 あくまでプレママでしかない私が、すでに大学生と高校生の子育てをまっとうし、仕事も介護もこなしてきた方に、母親業務について語れる言葉は実際とても少ないかもしれません。ただ、私は独身子なし期間がとても長かったため、長く娘の感覚のまま過ごした経験があります。大人になった娘からすると、子育てのためにあらゆるものをあきらめた母たちも尊いけれど、自分の人生をあきらめず、小さな破綻を繰り返しながらも子育てと欲望を両立させてきた母たちもとても人間らしく愛しい、そして尊敬できる存在です。

 子どもが大きくなったことで時間や気持ちに具体的な余裕ができ、母親業務自体はかなり縮小されたのではないかと想像します。とはいえ娘にとって母親は、それこそハタチを過ぎても三十になっても母親であることに違いありません。恋愛をしたいという欲望があるのであれば、母親であることと恋愛する主体であることを両立させる道を模索してみてくれたら、後輩マザーである私たちにとって心強いことです。それで多少母親業務が圧縮されて子供に不便があったとて、高校生や大学生の子どもは自分の不便と向き合う力は十分に持っているはずだし、大した問題ではない気がするのです。

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鈴木涼美

鈴木涼美

1983年、東京都生まれ。慶應義塾大学在学中にAV女優としてデビューし、キャバクラなどで働きつつ、東京大学大学院修士課程を修了。日本経済新聞社で5年半勤務した後、フリーの文筆家に転身。恋愛コラムやエッセイなど活躍の幅を広げる中、小説第一作の『ギフテッド』、第二作の『グレイスレス』は、芥川賞候補に選出された。著書に、『身体を売ったらサヨウナラ 夜のオネエサンの愛と幸福論』『非・絶滅男女図鑑 男はホントに話を聞かないし、女も頑固に地図は読まない』など。近著は、源氏物語を題材にした小説『YUKARI』

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