かつての社会では、妻や母という存在に何か別の側面があることを許していなかったのでしょう。でも今はむしろ妻や母だけに専念するのもある種の贅沢になりつつあり、多様な別の形で社会とかかわりをもっている方が大半です。だから今の女性たちにとってのリアルは、仕事や趣味に没頭する主体としての自分と、子どもたちにとって良い母親でありたいと望む自分をいかになるべく快適に両立させるかであったり、母という言葉と一見食い合わせの悪い「恋愛」や「遊び」や「欲望」などをいかに大切にするかであったりするのではないでしょうか。

「娘がいなかったら十倍は仕事ができた」けど…

 とはいえ、その模索の道がとても険しいものであるのは想像できます。昨年まで私はもっと無責任に、母親になった人が何かをあきらめる必要なんて全くない、と一点の曇りもない気持ちで信じていました。ただ、あまり想定していなかった妊娠という事態にさらされている今、そして運が良ければあと一か月と少しで自分も母になる状況にあって、子育てというのが実に時間的にも体力的にも多くを奪うものであるという予感はかなり具体的な形となって心の中にあります。妊娠している間ですら、自分の身体を完全にコントロールできないような、自分の欲望とは別の行動をとらされるような感覚があるからです。

 私の母は娘の私からすれば、子育てをしながらも自分の勉強や仕事をあきらめず、自分の人生を大切にしているように見えました。それでも彼女は大人になった私に、「子育てのために多くのものを犠牲にしたし、娘がいなかったらきっと十倍は仕事ができたけれど、それでも人生を振り返ると良い娘を一人育てたことは代え難いことだった」というようなことを言っていました。

 学校から課される手作りの袋やお弁当をなるべく既製品でごまかし、送り迎えが必要な場合はうまく根回しして友人の母たちに頼んでいた母ですらそうなのだから、献身的に見えた他のお母さんたちの犠牲にしてきたものは本当に大きいのだろうと思います。それでも、母になることで、別の何かでもある道をなんとかあきらめないでほしい、そして自分もそうでありたいと願っています。

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母親と恋愛を両立させる道