食べ物にも気を配り、ジャンクフードを食べるより空腹を我慢する。出張時は上質なホテルを自分で探して予約。「食と住にこだわるのは子どものころの反動だと思う」(写真/横関一浩)

 ただ、どんなにがんばっても収入は月30万~35万円だった。すべて家に入れ、少しずつ貯金もした。弟が大学に行きたいと知ると、バイトを増やして受験料と入学費用を捻出した。しかし22歳のとき、ついに過労で起き上がれなくなり救急車で病院に運ばれる。毎日16時間近く働いていたので、筋肉が炎症を起こしてボロボロになっていたという。

 療養中にこれからどうしようか考えた。それまでは自分でバーを開くことを目標にしていたが、この体で飲食店を経営するのはきついかもしれない。きちんとした給料をもらえる会社に就職しようと思い、求人誌で見つけた会社に応募すると、学歴を理由に落とされた。5社目の面接も断られると、さすがに手詰まりだった。

「おれ、何がしたいんやろ」

 自転車をこぎながら考えた。

「あ、おれ、したいことあるやん」

 芸人になりたかった夢が再び湧き上がった。その足でNSC大阪校の願書を取りに行き提出した。締め切りの前日だった。

(文中敬称略)(文・仲宇佐ゆり)

※記事の続きはAERA AERA 2024年8月12日-19日合併号でご覧いただけます

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