ルミネtheよしもとのステージ。「テレビの仕事が忙しくても劇場には出ていたい」。コロナで公演が中止されたときは吉本興業が行った配信の初日に500円で2人のトークライブを開催し、好評を博した(写真/横関一浩)

毎晩布団に入るとテレビの自分を想像した

 2020年にアインシュタインは大阪から東京に進出した。大阪で売れていても、東京で成功するとは限らないのが芸人の世界。だが河井は目標を定めて、これまでコンビを引っ張ってきた。まだテレビに出ていなかった17年の段階から、3年後に東京に行くと決めると、そこから逆算して年間計画を立てて実行してきた。

 まず、大阪で開催していたアキナ、和牛とのユニットライブやアインシュタインの単独ライブを東京でも行うことで、東京の劇場の出番を確保した。そのライブで客席を埋められるようになると公演回数を増やす。そうやって東京の劇場の支配人や吉本の社員に認知してもらえるように着々と布石を打ってきたのだ。

「どうしたらお客さんに来てもらえるか、どんなライブをしたらテンション上がってくれるかを考えるのが楽しい。いつも先を見て計画を考えているのは、子どものときから考えざるを得ない環境だったことが大きいかもわかんないですね」

 河井にとって芸人になれたことは、特別な思いがある。

 河井が3歳のとき父親が家を出ていき、喫茶店を営む母が河井と弟を育てた。「うちは周りの家よりお金がしんどい」と気づいたのは小学3年生の頃。河井は母の店を手伝い、家では洗濯、掃除、料理をするのが当たり前だった。昆布を折って料亭で使う「昆布船」を作る母親の内職も手伝ったが、大きな段ボールいっぱい作っても千円くらいにしかならない。

「物の値段や価値をずっと考えてました。お金のない家庭の子はいい教育が受けられないから知識を得られないし、外の世界を見られない。いろんな選択肢があることを知らないまま大人になると、少ない選択肢の中でやっていくしかない。そうすると負のスパイラルが続いて一発逆転が起こりにくい。当時はそこまではわかってなかったけど、自分はこのまま給料の安いところで働いて、お金のない一生を送るのかと思ってゾッとしたのを覚えています」

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毎晩布団に入るとテレビに出てる自分を想像しながら寝た