引っ越し先はプレハブ小屋 過労で救急車で運ばれる
慌てて新しい家を探すが、家族3人で暮らせる安い家は見つからない。母がつてを頼り、何とか心斎橋の飲み屋ビルの管理人の仕事を見つけてきた。住み込みの仕事ということで、3人は雑居ビルの屋上にあるプレハブ小屋に住めることになる。その小屋は、掃除用具置き場として使われていた場所だった。掃除用具を出し、ホームセンターでフローリングシートを買って敷いて暮らし始めたが、夏は24時間クーラーをかけても暑く、冬はダウンコートを着ながら寝るほど寒かった。河井は専門学校をやめて働くしかなかったが、18歳の多感な時期にこの生活はこたえた。
「芸人になれるとずっと思い込んでいました。ところが、今まで見ていた絵が真っ黒に変わって、しかもプレハブに住まなあかん。ダブルパンチがえげつなかったですね」
母と共に6フロアある雑居ビルの清掃と、約300の飲食店の電気やガスメーターの検針を行いながら、アルバイトをかけもちした。そのころの睡眠時間は3、4時間。
「あるとき鏡で自分の顔を見たら、目がつり上がって見たことのない恐ろしい表情になってました。それでハッとして完全に切り替えました」
芸人になる夢を捨てた。自分は母親と弟の面倒を見るために生まれてきたんだと思い込んだ。
「18歳から20歳までの2年間、テレビはニュースとスポーツしか見れなかったです。全曜日、全チャンネルに芸人が出てるんで」
NTT関連の会社で、電話をかけてアポイントを取る仕事が夕方5時に終わると、自転車でレストランバーや塾の講師、家庭教師の仕事に行った。あちこちで必要とされることが心地よかったし、年上の人に知らないお酒の飲み方を教えてもらい、階段を何段も飛ばして大人のたしなみを吸収するのは楽しかった。