ABCラジオ「アインシュタイン灰春ナイト」の収録。牧野真莉愛、とこわか吾郎とリスナーの悩みに答える。4人の話がどんどん転がり、「全部面白いのでカットはほぼしない」とディレクター(写真/横関一浩)

 プロ野球選手になりたかったが、スポーツはお金がかかるからと諦めた。そんな生活の中で、河井の最大の娯楽はお笑いだった。当時はテレビ最盛期。漫才番組、吉本新喜劇、加トちゃんケンちゃん、とんねるず、そしてダウンタウンと、人気芸人によるお笑い番組が次々と誕生した。自分も芸人になりたいと夢見た。

「毎晩布団に入ると、テレビに出てる自分を想像しながら寝てました。吉本に行って有名になって、お金を稼いで親父を見返せたらええなあと思ったところもあります」

 中学生になっても苦しい生活は変わらず、河井は地域新聞の配達のアルバイトを始めた。高校2年生のとき、母の喫茶店が立ち行かなくなり、母親はラーメン店で働くようになる。体調を崩すと河井が代わりにバイトに入った。

 本当は高校を卒業してすぐ大阪にある吉本総合芸能学院(NSC)に入り、芸人になりたかった。しかし母は「何アホなこと言うてるの。絶対あかん」と一蹴。そこで大阪府立貿易専門学校に進学した。河井は英語が得意だった。小学4年生から中学3年生まで、母親がこれだけはと、がんばって英語の塾に通わせてくれたからだ。18歳で既にTOEICのスコアは780点だった。専門学校に2年通って通関士の国家資格を取っておけば、芸人になれなくてもつぶしがきくと考え、学費はバイト代でまかなった。

 しかし、専門学校に入って半年後のある晩、寝ていた河井は母に突然起こされた。

「体力の限界。来月は家賃が払えなくなるから、家を出ないとあかん」

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母と共に6フロアある雑居ビルの清掃。睡眠時間は3、4時間