現役時代の阪神・藤川球児氏
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 近い将来、阪神の監督に就任することが熱望されているのが、チームのOBであり現在は球団本部付スペシャルアシスタントを務める藤川球児氏だ。実績、経験、人間性といったプロ野球の指揮官に求められる資質を兼ね備えており、次期監督も含め、いずれ伝統球団を率いる可能性は高いと見られている。

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「(阪神監督は)なりたくなくてもなると思います。今そんな気がしています」(2021年1月22日、YouTubeチャンネル「藤川球児の真向勝負」)

 阪神の監督が交代する時期が来ると、球団OBを中心に様々な名前が挙がるのが恒例となっているが、その中でも藤川氏に関しては信憑性が非常に高いという。さらに、本人も「監督就任は運命のようなもの」と上記の発言からも感じているのは間違いないだろう。

「プロ野球の一軍監督は毎年12枠しかない狭き門。なかでも阪神と巨人の伝統球団の監督になるのは、野球人にとって最高の栄誉とも言える。自身もそれを望み、周りからもそういった声があがるのは球児が認められている証拠」(阪神OB)

 今では現役時代に阪神の“伝説的なクローザー”だったと知られる藤川氏ではあるが、1998年にドラフト1位で阪神入団後はなかなか能力を発揮できず、苦しんだ選手でもある。しかし、現在チームを指揮する岡田彰布監督の第1次政権が誕生した2004年からブルペンへ配置転換されると才能が開花。2度のセーブ王に輝き、歴代5位の通算243セーブ、1220奪三振を記録した球史に残るリリーフ投手となった。

「素晴らしい球を持っていたがプロでは壁を破れずにいた。松坂世代の中では出遅れた感もあったが、本人の努力とともに岡田監督との出会いが大きかった。今でも同監督と球団に対して感謝の気持ちを口をしているのでよほどの思いがあるのでしょう」(高校時代から知るスポーツライター)

 2005年からはジェフ・ウィリアムス、久保田智之との3人で勝利の方程式「JFK」を形成。その後も中継ぎ、抑えでチームに欠かせない存在となり、2013年からはメジャーリーグでプレー。しかし、米国では結果を残すことが出来なかった。その後は四国アイランドリーグ・高知ファイティングドッグスを経て、2016年から阪神に復帰して2020年限りで現役引退した。

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