「スーパースターの印象が強いが波乱万丈の野球人生だった。阪神では試行錯誤を重ねブルペンでの絶対的立場を確立。メジャー挑戦は決して成功とは呼べず手術も経験し、国内の独立リーグでも投げた。グラウンド内外の全ての経験が球児のプラスとなっているはず」(阪神関係者)

 メジャーでは日本屈指の救援投手としてカブスと2年総額950万ドル(当時のレートで約7億6000万円)という契約で受け入れられたが、ルーキーイヤーの6月にトミー・ジョン手術を受け離脱。その後、復帰するもカブスでは2年間でわずか27試合の登板で防御率5.04に終わった。2015年にはレンジャーズに移籍したが、ここでもわずか2試合の登板でDFA(実質上の戦力外)となるなど米国では“挫折”を味わう形となった。

 だが、米国での苦労もこれから指導者としては役立つのは間違いないだろう。また、現役引退後は野球解説者を務めており、外から球界を見ているというのも大きな意味を持ちそうだ。

「メジャーで自由契約後はNPB球団からもオファーがあったというが、あえて(独立リーグの)高知を選んだ。将来を冷静に考える時間が欲しかったのではないか。決して環境が整っていない独立リーグに身を置くことで、野球への向き合い方を考えながら情熱も戻ったように見えた」(高校時代から知るスポーツライター)

「阪神復帰後は低迷期に差し掛かっているチームを第一に考えているような姿が目立った。練習中から若手に声をかけ、身振り手振りでアドバイスを送っていた。実質の兼任コーチのような役割を果たしてくれていた」(阪神関係者)

 選手としての実績、経験に加え、晩年からは指導者としての資質も感じさせた。また自身が思ったことは相手が誰であろうと信念を持って伝える姿勢も指導者向きだという声がある。

「不振を極める佐藤輝明の起用方法についてのコメントが『岡田監督への采配批判』と取り上げられたことがあった。しかし球児の普段を知っている人からすれば当たり前の言動。同様の会話は岡田監督とも常に話し合っている」(阪神OB)

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