実働1年で戦力外になったのが、涌井秀章の人的補償でロッテから西武に移籍した中郷大樹だ。

 06年の大学・社会人ドラフト6巡目でロッテ入りした中郷は、12年に中継ぎとして44試合に登板。右腕が体幹に隠れる変則的なフォームから140キロ台後半の直球とスライダー、フォークを繰り出し、3勝6ホールド。13年も肘や腰の痛みと闘いながら、37試合で2勝、15ホールドを記録した。

 この実績が、13年オフ、僅差の劣勢で試合を作ることのできる右のセットアッパーを探していた西武の補強戦略と一致し、涌井の人的補償として白羽の矢が立てられた。

 ロッテに愛着を持つ中郷は「今は寂しい気持ちのほうが強いのが正直なところですが、とにかく西武ライオンズで精一杯、頑張って、しっかりと結果を出したい」と新天地での活躍を誓った。

 だが、移籍1年目の14年は、環境の変化もあり、14試合で1勝1ホールド、防御率6.45に終わる。翌15年も1軍登板のないまま、戦力外通告を受けると、「(ロッテ時代の12年8月29日の楽天戦で)プロ初勝利したときに福浦(和也)さん、岡田(幸文)さんと一緒にお立ち台に上げていただいたことが一番の思い出。悔いはない」と潔く現役を引退した。

 西武は張、中郷以外にも、和田一浩の人的補償・岡本真也(前中日)、野上亮磨の人的補償・高木勇人(前巨人)も2年で退団するなど、失敗例が多く、「人的補償の選び方が下手」の声も聞かれる。

 サブロー(大村三郎)の人的補償でロッテから巨人に移籍した高口隆行も、新天地で活躍できないまま、2年で戦力外になった。

 05年の大学・社会人ドラフト6巡目で日本ハムに入団した高口は、ショートを中心に内野の全ポジションを守れるユーティリティプレーヤーとして08年に74試合に出場、三塁手や遊撃手として先発出場するなど、打率.216、14打点を記録した。

 10年には自己最多の84試合に出場し、3月30日のオリックス戦ではプロ初本塁打を記録。8月20日の西武戦では、延長10回にプロ初のサヨナラ打を放ち、日本ハムの北海道移転後、通算500勝目のヒーローとなった。

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巨大戦力を誇るチームへの移籍で野球人生が暗転?