「違うんです。昼間は、みんなが学校に行ったり会社に行ったり、活発に活動してるじゃないですか、でも自分は引きこもっていて、なんだか動けない。だからね、怖いんですよ。夜になると学校からも会社からも家に帰るでしょ。そうすると安心するんです。だから、夜は活動できるんですよ」

 自分には全くない視点でした。「そうか、そうだったのか」と長男の気持ちが理解できたような気になって、嬉しくなりました。「しんどかったんだね」と長男に声をかけると小さく頷きました。そして次の日の朝、部屋から出てくるようになり、全盲の彼が駅まで行くのに付き添って、送り迎えをしてくれるようになったのです。

 人は、自分の主観や価値観というフィルターを通して人を見てしまいます。家族にはそれを押し付けてしまいがちだし、相手のことを考えずに物事を進めてしまいがちです。でも、他人が介入してくれて、思いもよらなかった質問を投げかけてくれたおかげで、別の視点を得ることができ、息子には息子の言い分、気持ちがあるという当たり前のことに気づかせてもらいました。

 それまでの私は、前回の記事で書いたように、不登校は選択肢が狭まり、将来の道が閉ざされると思い込んでいたのですが、子どもへの声掛けや、家族以外の支援者の介入などにより、不登校に対する視点が変わっていったのです。

 人生は長い。その長い人生の中で、挫折の経験は誰にでもあります。その挫折の一つとして、不登校なんていう事象は別に大したことないんじゃないか、と思えるようになったのです。さらには、「いまのこの時期は、実は重要な時期なのかもしれない」と思えて、それを長男にも伝えるようにしました。

「いまは辛いなーって思ってるかもしれないけど、ここがどん底だとしたら、さらに下はないからね。あとは上向きになるだけだから大丈夫」

「この状態って、仮にあなたがずっとずっと続けたいって思っていても、実質無理なんだよね。これは一生続けようと思っても難しい。だったら、いまのこの状況に自分も向き合って、なんだったら楽しんでみるのもいいんじゃない?」

「こんなに自分と向き合える時間って社会人になったらなかなかないことだから。一生のうちでいまが一番自分と向き合える時期なんだと思う。だからこの時期を大事にするといいよ。絶対に大丈夫だから」

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子どもは親の写し鏡