伊藤賀一氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)

新自由主義を維持しつつ国民を統合する方法

佐藤:ですから、今回の教科書改訂、とりわけ思想の動きがどうなるかを見ていけば、近未来の日本はどうなっていくかがわかると思います。これらの教科書で、高校生は思想や歴史を学ぶのですから、ここで示された価値観をスタンダードとする次世代、次々世代が社会を担う中心になっていきます。別の言葉で言うと、新自由主義の進展によって国家統合の危機を感じた国家自身による教育面からの軌道修正です。つまり、日本への回帰です。だからといって、新自由主義的な競争原理は放棄できない。新自由主義的な競争を保ちつつ国民を統合するためにはどうすればいいか。「一君万民」という形で天皇を表象として使うには古すぎる。そこで古い価値観を現代的な問題としてアップデートさせて倫理や歴史教育の中にしのびこませている。このような方向性でカリキュラムが組まれているわけですから、ヒューマニズムにおける悪の視点、あるいは倫理そのものに潜む恐ろしさが、今後の改訂教科書に記述されることもないでしょう。だからこそ、「倫理」の教科書が語っていないことに注意を払い、場合によっては警戒する思想的態度も必要になってくると思います。これはリアリズムで動く国際社会の中で生き残っていくために重要なポイントでもあります。

伊藤:そのためにも一定量の知識が必要ですね。

佐藤:そうです。さらには論文を書く、自分の考えを人前で論理的に展開する、こうした能動的知識は、しっかりしたその裏付けがあって成り立ちます。能動的知識は、水泳のように自らが泳がなければ身につかないのと同じです。この本を順を追って読みながら、自分で文章を書いてみる。実践しなければ意味がないことに気づくことができると思います。

伊藤:そうした横断的な知識を、その都度、ネットなど外部から検索して引っ張ってくるのは意味がありませんね。

佐藤:諸外国のエリート養成機関の教育では、「その場で覚えて運用しろ。外付け装置に頼るな」ということを強調しています。この時代の中で生き残っていくエリート層にとっては重要なヒントになります。私も大学の授業ではテキストを学生に輪読させ、重要な固有名詞や数字はその場で覚えさせるようにしています。その狙いは、学生たちが外付けメモリーに頼らずに、自分の頭で考えて物事に対応できるようになってほしいからです。

伊藤:ランダムアクセスについては、異種格闘技戦が成り立たないということですね。帝政ローマのコロッセオの剣闘士のように、装備やスタイルがさまざまなのではなく、全員まわし一丁で勝負の大相撲というか(笑)。

佐藤:そうです。限られたテキストの中で、同じ視点、同じ問題意識で書かれているからこそ、ランダムアクセスによって、知の運用ができるようになるのです。

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