佐藤優氏と伊藤賀一氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)
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 かつてのような経済成長は見込めず、人口減に沈む日本。そこで国は、「共同体のために行動できる」人材育成を重視する方向に教育の舵を切ったと佐藤優氏は言う。日本史と世界史が必修化され、一つの科目になった「歴史総合」の本質とは何か。「日本一生徒数の多い社会科講師」スタディサプリ講師・伊藤賀一氏との共著『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』から、一部抜粋・再編して紹介する。

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悪に対する処方箋が少ない教科書

佐藤優(以下、佐藤):2023年発行の倫理の教科書全体を通じて私が感じたのは「悪の欠如」ということです。

伊藤賀一(以下、伊藤):悪、ですか。

佐藤:はい。西洋思想はキリスト教の影響を抜きに考えられません。その人間観は性悪説です。人間には原罪があるからです。人類の精神に大きな影響を与えたヒトラーやスターリンの悪についても倫理で教えたほうがいいと思います。高校で教える「倫理」には悪の要素が薄いですね。例えば、学校で「万引きはよくありません」と教えても、生徒が万引きした場合、学校はどのように対応するでしょうか。その生徒を𠮟って停学処分にするくらいでしょう。それは形式上の処分です。生徒が自身の内面の問題として万引き行為とどのように向き合えばいいのか。保護者はどう接すればいいのか。学校はそのための導きの糸までは提示してくれないと思います。教科書の構成がそうであるように、教育現場においては悪に対する処方箋が少ないように思います。

伊藤:大阪の高校で、試験でカンニングをした生徒が、教師から「卑怯者」などと追及され、自殺したという悲しい事件がありました。これも生徒自身がどう対処するか、教師は生徒を𠮟ればそれで済むのか。悪の扱いについて考えさせられますね。

佐藤:そもそも人生で突き当たる問題のほとんどは、ネガティブな事柄です。そんなときにどんな行動をとれば周囲も自分も受けるダメージを最小化できるのか。それがわかるようにするのが教科書の役目だと思います。例えば、ブラック企業に入って過大なノルマを課され、高齢者に高額商品を繰り返し購入させたり、不当な契約を結ばせたりする社員がいます。彼・彼女は、加害者であると同時に被害者と言えます。一方、子どもを虐待する親が、かつて虐待を受けていたというケースもこれに当てはまります。あるいはカルトも似た構造ですね。このような悪が連鎖する構造をいかに断ち切るか。

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