佐藤優氏(写真:朝日新聞出版写真映像部・東川哲也)

佐藤:日本人にとって、1620年のボヘミアで起きた「ビラー・ホラ(白山)の戦い」は、日本史に何の影響もありません。ところが、同時期の1618年に、ドイツを中心に起きた「三十年戦争」は日本史なのです。三十年戦争の結果、現代に通じる主権国家体制がヨーロッパに確立され、日本も近代国家の一員と認定されるゲームのルールが確定されたからです。世界史として今回選ばれたのは、現在の日本人が国際社会で生き残るうえで必要な知識であるはずです。それは実質的な「日本史」といえるでしょう。「地理総合」も同じ発想で、日本から見ての地理です。仮にアフリカが今後、天然資源確保に重要な地域になってきたら、アフリカの記述が多くなるでしょう。北朝鮮や中国、ロシアの記述も多くなっていくと思います。なぜなら、どの国も日本にとっての脅威だから、知っておかねばならないことがたくさんあるのです。アメリカについての比重は、日本が太平洋戦争に負けて、アメリカの同盟国となり、主権の一部を渡している以上、高くなります。

伊藤:「歴史総合」が私からすると「日本史だ」と思えた理由が分かりました。

佐藤:「歴史総合」も「地理総合」もハーバーマスが言う「認識を導く利害関心」に基づいてカリキュラムが組まれていると思います。日本にとって必要な知識であれば何でも集める。これらの教科の隠れたテーマは「日本」なのです。さらに言えば、日本史から「国史」への転換に思えます。日本史は「この国」としての記述であり、国史は「わが国」の歴史であり、自分たちと不可分のものとしてあるというイメージです。

伊藤:「倫理」と「公共」も「日本」が隠れテーマになっているということですね。

佐藤:教科書の記述を読めば、道徳的な意味での倫理というよりも、ヘーゲルの言う人倫的な色彩がぐっと濃くなっています。道徳はある意味で普遍性があり国家が希薄です。それに対して、人倫は国家であり、社会であり、地域であり、家族である。とにかく人が集まるところは全部人倫。そのような共同体のために「主体的」に貢献できる人間をつくるというのが、「倫理」の目的になっていると思います。

伊藤:なるほど、それで学習指導要領では「主体的学習」が全科目共通して重視されているのですね。

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新自由主義を維持しつつ国民を統合する方法とは?