伊藤:「倫理」が役立つ場面がそのようなところにあるとお考えですか?

佐藤:そう思います。韓国や日本など東アジアで加速度を増して激化する中学受験についても、倫理においては重要な課題だと思います。母親の狂気と父親の経済力と言われる中学入試。受験するのは、年齢的に自我を確立する入口に立ったか立たないかの小学6年生です。家族は子どもが合格するために正しい行動をしていても、その行動は、長期的には社会を弱くする方向に作用することになるのかもしれません。このケースにはリスクが潜んでいるのではないかと疑問を持つことが大切です。

伊藤:受験科目として暗記したことを、「思考の鋳型」として必要に応じて引き出し、直面している課題に適用できるようにすることが、次の段階だということですね。

高校教科書の改訂で大きく変わった点は何か

佐藤:言い換えれば、それが知へのランダムアクセスです。その「思考の鋳型」について伊藤先生にお聞きしたいことがあります。文部科学省が高校生に対して、国として身につけさせたい、ある種の方向性を感じたのですが、今回の高校教科書の改訂で大きく変わった点は何ですか。

伊藤:2022年度から新しい学習指導要領に基づいて高校の授業が行われています。「倫理」は地理歴史科と公民科に分かれる“社会科”のうち公民という教科内の一科目です。公民科の中には、他に「政治・経済」と旧課程の現代社会から衣替えした「公共」があります。「公共」は必修の基礎科目で、「倫理」と「政治・経済」は選択の応用科目です。生徒は、「公共」の授業で倫理の基礎的なことを学べるようになっています。倫理の教科書と「公共」の教科書とでは、同じ内容を扱っていても、標題の付け方が異なることが多く、「公共」の教科書の標題を紹介したほうが、佐藤先生の問題意識と合致するかもしれません。

 例えばある教科書では、ドイツ観念論は「生き方と世界を考える」、イギリスの功利主義とマルクス・エンゲルスの社会主義は「工業化社会の功罪を考える」という標題がついています。実存主義は「主体性を持って生きる」。フランクフルト学派やハンナ=アーレントは「戦争と全体主義を批判する」という項目で登場します。ロールズやサンデル、センは「正義と公正の追求」というタイトルが付けられています。

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重視すべきは「人倫」