佐藤優・伊藤賀一『いっきに学び直す 教養としての西洋哲学・思想』(朝日新聞出版)>>書籍の詳細はこちら

佐藤:なるほど。私も学習指導要領を読んでみました。伝統文化や地域社会の維持継承、そして国家、地域社会、家庭を構成する一員として身につけるべき基礎知識を教えるという、従来の公民科の教育の主眼は変わっていません。そこに、新設された「公共」として、現代の倫理、社会、政治、国際関係など諸課題を学習することを通し、「グローバル化する国際社会に主体的に生きる平和で民主的な国家及び社会の有為な形成者に必要な公民としての資質・能力を育成することを目標」とするとあります。これから重視すべきは、学習指導要領が言うように、国家であり社会であり家庭、つまり共同体であると。これこそ、ヘーゲルの言う「人倫」です。

伊藤:確かに「公共」は、文字通り公共意識を非常に高める構成になっています。さらに社会学習的な要素が持ち込まれています。そして生命倫理や社会福祉などについても強調されています。最初は、現代社会から名前が変わっただけと思っていましたが、今回の改訂はこれまでの改訂とは意味が全く違うように思いました。

「主体性を持って生きる」とは

佐藤:伊藤先生が紹介された「公共」の中の倫理に関連する標題で注目すべきものが二つあります。一つは、ドイツ観念論の「生き方と世界を考える」です。これは非常に重要で、煎じ詰めれば、困難に直面したときにあなたはどう乗り切るかということです。これはマニュアルを整備しておけば解決できるものではないです。困難を乗り切るには何が必要になってくるか。そこで出てくるのが、実存主義の「主体性を持って生きる」ということです。主体的に生きるというのは、個々が自己利益の追求のみを目的に動くことではなく、人倫のため、会社のため、あるいは国家の利益を最大化させるため、自分の持ち場で一生懸命かつ臨機応変に行動して不満を持たないことです。

伊藤:強制されて指示された通りに行動することではない、ということですね。

佐藤:そうです。人倫のために内発的に行動しましょうということです。「公共」の教科書にある、実存主義の標題「主体性を持って生きる」を人倫に接続させれば北朝鮮の主体思想になります。つまり、「公共」の教科書が示唆している方向で国づくりをしていくと、次第に北朝鮮に近づいていく、ということになります。倫理や「公共」には、恐ろしいものも潜んでいるのです。

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”人倫の利益のために行動すべき”的な価値観を避けて通れない?