その年の駅伝の結果とリンクさせた、インセンティブもつけた。「練習メニューも何もかもすべて教えてほしかったし、私にも本気で向き合ってほしかった。会社には詳細を伝えず、アドバイザー料は自腹で払うことにして話を進めましたね」と山下。狙い通り練習パターンを徹底的に学べた。「持久力をつけ、体を回復させる。考え方が深く理解できました。考え方がわかれば、アレンジもできます」。その年、駅伝初優勝。監督7年目、第一生命創立100周年の年だった。
考え、納得する。それが山下の行動を規定している。指導者を「考える人。シンクタンクというか」と言った。垣見優佳(38)とのエピソードも“納得”への道だ。
第一生命生涯設計教育部に所属、「サラリーマン川柳」も担当した垣見は05年、香川・英明高校から陸上部へ。5社ほどに勧誘されたが、女性監督のパイオニアである山下に指導してほしかった。
2、3年して記録もよくなってきた頃、爪の手入れが好きになった。「本当に若気のいたりなんですけど」、ソウル五輪の100メートル金メダリスト、フローレンス・ジョイナーのように、ごく長い爪に派手なネイルをした。
「マッサージの邪魔じゃない?」と山下に聞かれ、「爪を使うわけじゃないですから」と答えた。数日後、山下も自分と同じような爪にしていることに気づいた。まさか自分で試すとは。驚いたけれど、ネイルに限った話でなかったと振り返る。
頭ごなしに否定することなく、言動の背後にある気持ちをくみとって接してくれる監督だった。私生活でも競技でも「相談すれば、いつも答えがありました」。
山下は「あの頃は、私も時代にマッチしてたんですね」と笑う。実業団に入った時から「恋愛禁止」「茶髪禁止」などの業界ルールに違和感があった。男性目線だし、指導者のいいなりになる選手の幼さも嫌だった。「黒髪で遅いより、金髪で速いほうがいいじゃないですか」と山下。「自主自立」という言葉を使い、こう言った。
「自分の言葉で表現したり、信念というか芯というか、そういうものが選手にはほしいなと思っていました」
(文中敬称略)(文・矢部万紀子)
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