5月後半からは鈴木優花とパリ経由で米国ボルダーでの合宿後、そのままパリへ。21年4月、ボルダーに自宅を購入、そこを合宿所として使う。「会社と契約書を交わして。格安でお貸しします」

ライバルを超えた仲 有森の元に届いた年賀状

 そんな山下を「裏表も、嫌みも、おべんちゃらもない。一生懸命、考える。基本的な誠実さがある」と評したのは有森裕子(57)だ。「一番仲がいいのは有森さん」と山下が紹介してくれた。

 91年世界陸上、山下が銀、有森が4位。92年バルセロナ五輪、有森が銀、山下が4位。よく知られたライバル同士だが、「ライバルを超えちゃいましたね」と有森。二つの出来事があった。

 一つ目はバルセロナ本番。山下がゴール後、待ち受けていた記者に聞いたのが有森の結果。「2位」という返事に「よかったー」と喜んだ。有森はこれを後から知った。「何かね、私にはない、何でしょう、人間性」。かみしめるように語った。

 次は4年後、山下から届いた年賀状。「頼むからスタートラインにだけは立ってくれ」。そう書かれていた。アトランタ代表に正式には選ばれていなかったが、走ることを前提にしていた。「衝撃的にうれしかったですね」と、強く言った。マラソンランナーとかそんなことどうでもよく、人間的にうれしかったですねと言って、少し涙をこぼす。

 けがをしたら終わりだと分かり合える者同士。しょっちゅう連絡しあっているわけでも、お互いを知り尽くしているわけでもない。でもそれ以来「自然に自分の中にいてもらえる人」と有森。

 有森の話を山下は、こう解説した。「バルセロナではマラソン選手だけが飛行機もホテルも優遇されていて、誰かがメダルを取らないと顔が立たないと思っていたんです」。だから有森のメダルを知り、ホッとした。いい人みたいに書かれたが「ほんとは違うけどなって思ってました」。

 バルセロナから帰国後は「メダリスト」と「入賞者」の格差を実感した。それでもお互いに体の不調を言い合ったりできた。

「有森さんにはネガティブなことが言える。そういう人って、めっちゃ大事だと思いませんか」

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