引き取り依頼はほとんどない
同博物館はやむを得ない事情で行き場を失った金次郎像を引き取り、必要とする団体などに渡す仲介も担ってきた。
少子化にともなう小学校の統廃合などで金次郎像が減少している、という報道を目にするようになった。
だが、田中さんはそれを否定する。
「二宮金次郎像の引き取り依頼はほとんどありません。小学校が閉校になっても別の施設に移されて活用されているケースが多いと聞きます」
金次郎が歩きスマホを助長する?
新たに小学校に建てられる金次郎像もある。二宮尊徳終えんの地、栃木県日光市の南原小学校に2016年に寄贈された像もその一つだ。
ところが、この学校の金次郎像は一風変わっている。薪を背負った少年が歩きながら本を読む、というお馴染みのポーズではなく、切り株に腰を下ろしているのだ。
当時の報道によると、像を寄贈した地元団体は「歩きスマホの危険性が指摘されるなか、座像のほうが適切だと考えた」という。
これに対して、SNSには「時代をうまく反映していますね」という声が上がる一方、
「『働きながら勉強する』象徴だったのに、仕事をサボって本を読んでいるようにしか見えない」「『教育的配慮』とやらのこっけいさがにじみ出ている」「虚構新聞のネタかと思った」などのコメントがたくさん寄せられた。
実は、「座り金次郎像」は小田原市にも複数あり、「歩きスマホはダメだから、座像が増えている」といううわさの根拠にもなっているようだ。
座り金次郎が登場したのはいつ?
ところが、記者がそのうちの1体を現地で確認すると、スマホが普及する以前、1993年に建てられたものだった。
さらに別の「座り金次郎像」を1989年に建てた豊川小学校のホームページには、次のような内容が書かれている。
「当初、薪を背負って歩く像を検討しましたが、尊徳記念館(小田原市)の資料の中に『金次郎の座っている絵』を発見。座像を選定しました」
先の田中さんは「本は座って読むほうが自然ですよね」と言って、笑う。
座った金次郎を描いた古い掛け軸はいくつも残っているそうで、金次郎少年は実際に「本を読みながら歩いていたわけではないだろう」と言う。
「少年時代の金次郎について、中国の古典『大学』を口ずさみながら歩いた、という弟子の記述が残っています。後年、その話を画家が膨らませて描き、それを元に立像がつくられるようになったのでしょう」(田中さん)