育休をめぐって「大変迷惑です」と後輩に本気で怒られた
――建設省(のちに国交省)で伊藤さんの前にキャリアを築いた女性がいなかったので、パイオニアとして、「男性に負けずに働いた」姿をつい想像してしまいます。36歳で第一子を産んだときも、38歳で第二子を産んだときも、育児休暇を取らなかったそうですね。伊藤さんの実際の意識はどうだったのでしょうか。
伊藤:育休を取らなかったのは確かです。そこだけ切り取られると女性活躍に反する人のようなのでが、体調も含めて、休まず働くことを自分で選択できる恵まれた環境にあったということです。
特に2人目は出産を挟んで、2000年の高齢者住まい法(高齢者の居住の安定確保に関する法律)の改正に携わりました。ちょうど介護保険制度ができて、高齢者の住まいについて大きく議論がされていた時期です。私も、人の暮らし、一生を考える上で住まいは大切だと思っていました。子どものころ、祖父母と同居していたことも影響しているのかもしれません。
上司から「法案をやらないか」といわれて、「やりたい」と即答しました。その数カ月後に妊娠がわかったのです。それでもやりたいワケですよ。何とか、育児と両方できないかとあがきました。
――懐に温めていたテーマだったのですか? 伊藤さんの仕事への情熱の原点はどこにあるのでしょう。
伊藤:学生時代からこんなふうに思っていたのです。列車の窓から、夜に街を眺めると、たくさんの窓に明かりがついている。光の中に一人の一人の生活が詰まっている。それを想像すると、いとおしいなあと。暮らしや住まいに関わる仕事をしたいとずっと思ってきたのです。
2000年の改正を経て、サービス付き高齢者向け住宅を創設した2011年の法改正にもかかわりました。そのころには立場も課長補佐から課長になっていて。ちょうど民主党政権下でしたね。高齢者の施策を考えるとき、ハード面の国土交通省と生活サービスという厚生労働省の両方の視点が必要で、そういう境界領域に取り組めたのは良かったと思っています。
――とはいえ、今なら会社や上司から「休みなさい」と言われるでしょうね。
伊藤:育児は1年で終わるワケではないですし、何とか受け入れてくれる保育園があったことも含めて、私の判断を尊重してもらったのは恵まれていました。もちろん、休みたい、休まざるを得ないのに休めないのは論外です。
しかし、後輩からは真剣に怒られましたよ。「あなたがそんなことをするから……大変迷惑なモデルになるんです!」と。ごめんなさい、ごめんなさいと平謝りました。