31日、将棋のタイトル戦「叡王戦」第4局は大きな注目を集めた。藤井聡太八冠が1勝2敗とリードされ、負けたらタイトルを奪われる「カド番」に追い込まれていたから。藤井聡太八冠を追い込んだ伊藤匠七段とは? 過去の人気記事から振り返る。(「AERA dot.」2024年1月15日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)
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AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。34人目は、伊藤匠七段です。AERA 2024年1月15日号に掲載したインタビューのテーマは「私の家族」。
東京で生まれ育った伊藤は、名古屋出身の父の影響で、中日ドラゴンズのファンだ。
「試合は一応見てます。今季はやたら炎上していたイメージがあります(苦笑)」
父の伊藤雅浩は、優秀な弁護士として知られている。その影響を感じることは?
「いや、うーん……。わかりません(笑)。わりと覚えるのが得意だったりはあるかもしれないですけど。国旗とか、図鑑に載っている怪獣とか、自然に覚えていました」
2007年。5歳だった伊藤少年は、クリスマスプレゼントに将棋盤と駒をもらった。それはどういう理由で?
「詳しく覚えてないんです。両親も特に将棋にはまっていたわけでもなかったので」
父のブログには、次のように記されている。
「今回はやや渋めに、『将棋盤と駒』にした。プラスチック製とか、マグネットのやつではなく、いちおう、ちゃんと桐箱に入ったモノである。もっとも将棋盤は足のついたゴツいのではなく、二つ折りのものだけれど。保育園の近くにある商店街に、かなり渋い『将棋・囲碁』サロンがある。毎日、夕方になると、おじさん、おじいちゃんがガラス張りのフロアで将棋や囲碁を楽しんでいて、それが長男の関心を惹いたのがきっかけだ」
父の選択は見事というよりない。翌年、子はサンタ宛てにこんな手紙を書いている。
「しょうぎねんかん(将棋年鑑)ください」
伊藤と藤井聡太は共通点が多い。2002年に生まれ5歳で将棋を覚えて夢中になり、家族に応援され、そして幸運にも近くに優れた指導者がいたことなどだ。伊藤の自宅から歩いても行ける距離には、宮田利男現八段が経営する三軒茶屋将棋倶楽部があった。