哲学者 内田樹
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 哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。

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 5月には山形・羽黒で、星野文紘先達を囲み、内山節氏、藤田一照師と私の4人でおしゃべりをするイベントを続けている。今年で6年目。山伏と哲学者と雲水と武道家の組み合わせなので、いつもすごく変な話になる。今年も変な話になった。

 私たちのシンポジウムの前に和太鼓の原田嘉子さんの奉納があった。それを聴いているうちに太鼓のリズムと呼吸のリズムがぴたりと合うことに気づいた。私が最初の発言者だったので、その話から始めた。

 人間はあらゆる道具を自分の身体に似せて創り出す。そうでないと操作できない。8本脚のロボットとかアメーバ状の缶切りとかは思いついてもたぶん使うことができない。

 人類が最初に手にした楽器は打楽器だったと思う。太古の人類は自分の身体を「中を空気が通り抜ける円筒のようなもので強く叩くと響きを生じる」というふうにとらえていたのではないか。だから、その身体像に基づいて最初の楽器を作った。なんだかそんな気がした。

 私が修行に通っている一九会の祓いは「トホカミエミタメ」という祝詞を喉が嗄れるほどひたすら唱える行なのだが、唱え続けていると、意識が朦朧として、自分が何か外部の強い力の「通り道」である空洞のように感じられてくる。実際に、声が小さくなると先達に背中を思い切り叩かれる。ほんとうに打楽器になった気分になる。

 人間の身体を打楽器に見立て、そこに強い呼気を通すことで穢れを祓うという行のかたちはおそらく古い起源を持つものだと思う。打楽器が身体についての原イメージを外化したものであるなら、人間が自己認識の原点に立ち還りたくなるとき「わが身を円筒形の空洞」に擬する気になっても怪しむに足りない。

 というような思いつきを話し始めたら止まらなくなって、そう言えば武道では「体幹」とか「体軸」ということを言うが、あれはそういう部位があるわけではなく、「野生の強大なエネルギーの通り道」を意味する。それをあえて「幹」や「軸」という語で表象するということは、武道も「身体は円筒」という身体原イメージに基づく体系かもしれないという話になり、以下話頭は転々として奇を究めた。

AERA 2024年5月27日号

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内田樹

内田樹

内田樹(うちだ・たつる)/1950年、東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。神戸女学院大学名誉教授、京都精華大学客員教授、合気道凱風館館長。近著に『街場の天皇論』、主な著書は『直感は割と正しい 内田樹の大市民講座』『アジア辺境論 これが日本の生きる道』など多数

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