紫式部図 伝谷文晁筆 出典:国立博物館所蔵品統合検索システム https://colbase.nich.go.jp/collection_items/tnm/A-12402?locale=ja

 紫式部の二人の曽祖父は仲が良かった。互いの家で宴を開き、歌を詠む。また、名の知られた歌人たちを呼んで歌を作らせ、褒美を与える。彼らは雅びの世界を支えるパトロンだったのだ。例えば『古今和歌集』の撰者で知られる紀貫之(きのつらゆき)は、二人の宴の常連だった。清少納言の祖父、一説に曽祖父とも言われる清原深養父(ふかやぶ)も、召されて琴など弾いている。しかもそうしたことは、『古今和歌集』や『後撰(ごせん)和歌集』に記されているのだ。これらの和歌集は、紫式部当時、貴族社会で教養の聖典のような存在だった。娘時代の紫式部も、これらの和歌集をひもとき、ご祖先様のきらびやかさにきっと胸をときめかせていたに違いない。

 二人の曽祖父は、『源氏物語』にも影響を与えているようだ。『源氏物語』の桐壺帝(きりつぼてい)の時代は、紫式部から数十年をさかのぼる、実在の醍醐(だいご)天皇(八八五~九三〇)の時代に設定されていると言われる。この醍醐天皇の時代が、二人の曽祖父、兼輔と定方が活躍した時代なのだ。醍醐天皇は、定方の姉の胤子(いんし)が宇多(うだ)天皇(八六七~九三一)との間に産んだ子だから、定方にとって甥だった。また兼輔は、娘の桑子(そうし)を醍醐天皇に入内(じゅだい)させている。曽祖父たちにとって醍醐天皇は身内の天皇といってよい。醍醐天皇は歴史的にも聖帝とあがめられる天皇だが、紫式部にとってはそれ以上に、懐かしい「一族の帝(みかど)」だったのだ。

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紫式部の負け組感覚