大河ドラマ『光る君へ』でも描かれているように、貴族の間でも大きな格差が存在した平安時代。『源氏物語』の作者・紫式部もその上流貴族たちのきらびやかな生活に憧れたと推測するのは、平安文学研究者の山本淳子氏だ。著書『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集し、その理由を解説する。
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祖先はセレブだった紫式部
『源氏物語』の作者、紫式部。彼女は貴族の中でも「受領(ずりょう)階級」という階級に属するといわれることがある。それは正しいが、すべてではない。「受領」とは地方に下った国守(こくしゅ)のことで、確かに彼女の父親は越前守(えちぜんのかみ)や越後守(えちごのかみ)だった。だが三代前、紫式部の曽祖父までさかのぼれば、何と彼らは公卿(くぎょう)。現代の内閣閣僚にあたる人々だ。紫式部の祖先は立派なセレブだったのだ。
国司は朝廷から派遣されて地方の各国に赴き、その国を治める。赴任先では権力の頂点にいるといってよい。だが朝廷全体における地位を示す位階は、治める国にもよるが、六位からせいぜい四位(しい)程度だ。「ここから上が貴族」という五位のラインを挟んで上下に位置し、決して上流貴族とはいえない。だからこそ、特有の自由な気風や上昇志向を持ち、成り金的ないっぽう、多少の哀愁も漂う。