兼輔は、入内した娘・桑子が帝に愛されるかどうかが心配で、歌を詠んで帝に奉ったという。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(子を持つ親の心ときたら、暗くもないのに迷ってばかり。子を思うがゆえに、分別をなくしてしまうのです。で、娘をご寵愛いただけますか?)」(『後勅撰和歌集』雑一)。紫式部はこの歌を、『源氏物語』の中で幾度も引用している。そのこと一つをとっても、紫式部がご先祖様や醍醐天皇の時代に心を寄せていたことがはっきりと見て取れる。
少し前まで華やかだったのに、今は没落して受領階級となった家の娘。『源氏物語』を読むとき、作者のこの「負け組」感覚を忘れてはならない。それは東宮(とうぐう)はおろか親王(しんのう)にさえなれなかった皇子である光源氏のリベンジにつながり、政争に負けた桐壺・明石(あかし)一族のお家復活劇につながるのだ。ほかにも、物語中には数々の没落者がひしめく。父に先立たれた末摘花(すえつむはな)、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)、空蝉(うつせみ)、そして宇治(うじ)の女君たち。中でも空蝉は、実家の昔への矜恃と今属する受領階級への引け目とを二つながら心に抱く点、紫式部自身の分身ともいえる。彼らへの、紫式部の悲しくも温かいまなざしに注目したい。