NHK大河ドラマ「光る君へ」に、紫式部の永遠のライバル清少納言がついに登場する。清少納言とはどんな女性だったのか、各メディアで平安文学を解説する京都先端科学大学教授の山本淳子さんが解説する(「AERA dot.」2017年9月23日配信の記事を再掲載したものです)。
自慢話ばかりで意地悪、気が強くて口が悪い。そんなイメージで語られることが多い清少納言。なるほど『枕草子』の筆致を辿ると、「彼氏が元カノの話をするなんてムカつく!」「不細工な僧侶の話は聞く気にもならない」など、言いたい放題に筆を走らせている気楽な日記に見えるかもしれない。
しかし、「『枕草子』には、彼女が人知れず込めたある思いと戦略があったのです。だからこそ千年を超えて、読み継がれることができた」と、平安文学研究者の山本淳子さんは語る。
『枕草子のたくらみ 「春はあけぼの」に秘められた思い』(朝日新聞出版)出版後、朝日新聞書評や「世界一受けたい授業」で大反響を呼んでいる著者に聞く、「枕草子」に秘められたたくらみとは? 果たして清少納言は本当に自己顕示欲の強いイヤな女なのか。古典の時間に覚えた「春はあけぼの」の清少納言のイメージが、180度変わるかもしれない――。
――平安時代において『枕草子』はどのような存在だったのでしょうか。
研究者は、今でいうブログに例えることが多いですね。『枕草子』は、清少納言が仕えた一条天皇の后・中宮定子が存命中に書いた第一次と、定子が24歳で亡くなったあとに書いた第二次があるのですが、第一次は定子に献上するものとして書かれました。第二次は、清少納言は明らかに不特定多数に向けて「定子の思い出の記として発信する」というもくろみをもって書いています。ブログの読者は必ずしも最初から最後まで読むわけではなく、読む箇所もあれば読まない箇所もありますよね。『枕草子』も、原本が人の手に渡り書き写されたり写されなかったり、順番が違っていたりと、受け手によってさまざまな『枕草子』が存在したと考えられます。それで清少納言が改めて編集し直したものが、今の『枕草子』となっています。
――清少納言が宮仕えしたときはすでに28歳、バツイチ、子持ち。そんな彼女が一躍“有名ブロガー”になるような文才を持っていたとば驚きです。