清少納言の父も曽祖父も有名な歌人。本人もそのことを強く意識し、父や曽祖父に恥をかかせないように一生懸命和歌の勉強をしたのだと思われます。それは「山は」という章段によく表れています。「山は、小倉山。かせ山。三笠山……」とそれらがどのように歌に詠まれてきたかという知識がないと書けない章段です。
また、『枕草子』のなかには、宮仕え前の986年ごろ、清少納言が小白川という邸宅に法華経を聞きに行ったときに、貴族から声をかけられて法華経の一説を利用して当意即妙な答えをしたという話があります。実はそのときに定子の父親・藤原道隆がいて、清少納言を女房にしようと目をつけたんじゃないかという説もあります。才覚がある者として知られていたようです。
――本書のなかでは、「はしたなきもの」「にくきもの」「うれしきもの」「ありがたきもの」などの「~もの」という形の章段が「清少納言の真骨頂」と書かれていますね。彼女ならではのひねりや話芸がきいている、いわゆる“あるあるネタ”です。
たとえば「別の人が呼ばれた時に、自分だと思って出てしまったらきまりが悪い。何か貰える時だったりしたら、特に」「硯のなかに髪が入ったまますってしまいキシキシいって気持ち悪い」「蚊がぶーんと名乗って顔のあたりを飛び回るのが憎らしい」といった、日常生活の中の些細な共感はとてもおもしろい。「彼氏が元カノの話をするのが腹が立つ」というくだりもあります。
『源氏物語』の文章は長いのですが、『枕草子』の文章は基本的に短文でほとんど断定形。それを「押し付けがましい」と嫌う人もいますが、自分をさらけ出せる潔い性格の表れだと私は思います。
――そんな庶民的な感覚がありながら、一方で「下衆」(庶民)と「えせ者」(二流のもの)に厳しい。そのあたりが差別発言だ、毒舌だと嫌われる要因のひとつとなっています。
「下衆の家に雪が降っているのも、月の光が差しているのも不似合い」などといった表現を真に受けると確かに嫌になりますね。しかし、彼女も下層貴族の出身で自分と下衆が紙一重ということはわかっており、恐怖があったと思うんです。実際、最後には彼女も下衆になり、田舎に下って菜っ葉を干す生活になったという説があります。「昔の直衣(なほし)姿こそ忘られね(宮仕え生活での直衣姿が忘れられない)」とひとりごとを言っていたと『無名草子』(鎌倉時代初期の評論)に書かれています。