よく比較対象となる紫式部は、下衆のことは「下衆」としか書かず、話す言葉もわからない存在としています。清少納言は下衆が歌を歌った、自分の家が火事になったと愚痴をこぼしたなどと書き記し、会話しており、近しいものとして描いています。紫式部のような型にはまった身分意識を持っているものとは違う柔軟さがあり、『枕草子』に躍動感を与えていると思います。
――清少納言の柔軟さ、おもしろさは生き方にも表れていますね。彼女は読者に「女子たちよ、女房(侍女)になって出会いをつかもう」「男子たちよ、女房だって結婚相手として悪くない」と促し、仕事と結婚、両方の獲得を目指していたそうですね。
「女房は玉の輿に乗れるのでおすすめだ」と、こんなにはっきり書いている文学作品はあまりありませんが、実際、清少納言もさまざまな男性と出会い、言い寄られたり関係を持ったりしており、女房に出会いが多いことは事実。清少納言以外にも、大臣と女房の恋愛の歌が多数残っています。
公家の娘であれば女房になることは零落を意味し、女房になるくらいなら出家したいと泣いて嫌がることもあります。一方で清少納言のように先が見えている身分にとっては、女房の世界は自分として生き、しかも社会に出てさまざまな人と触れ合えるチャンスがごろごろしている場だと考えていたようです。(文/安楽由紀子)