この為平を冷泉の後継としようとしていたとの密告で、高明は大宰府へと配流される。娘の明子が父の不幸に遭遇したのは幼少の五・六歳の時期とされる。叔父の盛明親王に育てられたが、その後、東三条院詮子に迎えられた。

 詮子は彼女を厚遇、結婚相手については、相応の人物を考えていたに相違ない。二十歳代前半の道長の二人の妻女(宇多源氏の倫子・醍醐源氏の明子)との出会いは、道長の血筋に異なる世界での婚姻圏を用意した。

 嫡妻倫子との間に彰子・頼通・教通・妍子・威子・嬉子が、そして明子との間には頼宗・顕信・能信・長家・寛子・尊子が誕生する。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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