栄花物語図屏風(国立博物館所蔵品統合検索システム(https://post.dot.asahi.com/sys/articles/new?copy=211209)

 永延元年(九八七)、藤原道長は二十二歳で宇多天皇の孫にあたる源雅信の娘倫子と結婚をしたが、この婚姻の成立には倫子の母の強い後押しがあった。またその翌年には、源高明の娘明子を第二夫人として迎え入れる。この仲立ちを積極的になしたのは道長の姉詮子だった。姉詮子は道長の関白(内覧)就任にも大きく関わっている。関幸彦の新著『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』(朝日新書)から一部を抜粋、再編集し、年上女性に応援される道長の人間性を紹介する(「AERA dot.」2024年1月15日に配信された記事の再掲載です)。

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 一般に道長以後の家系は「御堂流」と呼ばれる。その御堂流・道長以前、長子たる立場で家督を相続したケースは少なかった。「三平」の一人、忠平は基経の長子ではなかった。続く、師輔・兼家いずれも長子ではない。そして道長も同様だった。道長以前、その母たちの出自を見るとわかるのは、受領の娘が目立つことだ。当の道長の母、すなわち兼家の妻は時姫と通称された女子で、摂津守藤原中正の娘だった。

 また、道長には同母兄の道隆・道兼とは別の異母兄道義・道綱もいた。道綱の母は有名な『蜻蛉日記』の作者であり、同様に受領の娘だった。道長以前でいえばルーツの冬嗣─良房─基経と伊尹・兼通・兼家三兄弟─道隆・道兼・道長の三兄弟と五代にわたって受領の娘を母とした(例外は時平・忠平兄弟及び実頼・師輔兄弟で、王女や大臣の娘などが母)。

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関幸彦

関幸彦

●関幸彦(せき・ゆきひこ) 日本中世史の歴史学者。1952年生まれ。学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻博士課程修了。学習院大学助手、文部省初等中等教育局教科書調査官、鶴見大学文学部教授を経て、2008年に日本大学文理学部史学科教授就任。23年3月に退任。近著に『その後の鎌倉 抗心の記憶』(山川出版社、2018年)、『敗者たちの中世争乱 年号から読み解く』(吉川弘文館、2020年)、『刀伊の入寇 平安時代、最大の対外危機』(中公新書、2021年)、『奥羽武士団』(吉川弘文館、2022年)などがある。

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