親から暴力を受けていると告白されると、「子供を愛さない親はいない」「理由なく子供を殴る親はいない」という「公正世界仮説」が崩壊しそうになります。

 ですから、子供に理由を見つけようとします。

 それが、こまちさんが受け取った「そこまで追い詰めるあなたにも原因があるんじゃないか」とか「暴力にだって理由があるはず」「自己責任」という言葉です。

 加害者である親だけではなく、被害者の子供にもマイナスがあるから、お互いの原因で暴力になるという「公正な世界」が守られるのです。

 そして、その言葉に被害者が納得しないと、「でも家族なんだから」とか「それでも元気そうじゃない」「自立して気にしなければ良い」という言葉で「たいした暴力ではない」から「世界の公正はゆらいでいない」と主張するのです。

 そうして「世界は公正・公平である」という自分の思い込みを守るのです。

「いじめられる方にも問題がある」とか「そんな格好していたら痴漢されるのは当り前」「だまされる方も悪いんだ」という考え方も「公正世界仮説」の結果です。コロナ禍の時は、「コロナになったのは、遊び歩いていたからだ」と言われたりしました。

 すべて、「世界は公平で、その行いに相応しい結果がもたらされる」という思い込みを守ろうとする言葉です。

「被害者にも非があるはずと思うことで、自分とは関わりがない、対岸の火事だと思いたい」とこまちさんが書くのも、まさに「公正世界仮説」の考え方です。「被害者にも非」があると思えば、「世界は公正である」という自分の仮説は壊されることはないのです。

「公正世界仮説」を信念とか思い込みと何度も書いているのは、残念ながら、それは事実ではないからです。

 だって、この世界は、良いことをしたのにひどい目にあうこともあれば、悪いことをしたのになんの罰も受けないで栄えていく人もいます。

 がんばることと夢がかなうことはイコールではないし、正直に生きることと報われることもイコールではありません。

 と、簡単に書いていますが、これは大変なことです。

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「公正世界仮説」のメリットとは?