「男性優位仮説」とは、すべてを男性の視線で判断し、意識的にも無意識的にも、男性の判断が正しいと思い込んでいる感覚です。

「アパートの部屋に入ったんだから、女性は何をされても文句は言えない」という言い方は、アパートに誘った男性のことは、まったく問題にしていません。

「部屋に入った」ということが「セックスに同意した」という意味だと思い込んでいる加害者男性の暴力的偏見は無視しています。

 男性は女性より優位なんだから、偉いんだから、男性の落ち度を指摘するのは許せないという思考です。

 性暴力の場合は、意識的にも無意識的にも「男性擁護」のスタンスになる結果、被害者の女性を責めます。女性に問題があったから、男性はそう行動したんだと決めつけるのです。

「そんな格好をしてたら、襲って欲しいと言っているようなものだ」なんて言い方です。

 こういう男性も、金持ちの屋敷が泥棒に入られた時には、「そんな立派な家に住んでたら、泥棒に入って欲しいと言っているようなものだ」とは言いません。

 とにかく、「男性であること」が問題になる時だけ「男性優位仮説」が発動するのです。

「男性であること」がおびやかされたり、危機に陥っている男性に、特にこの傾向が強いと思っています。

 競争社会の中で負け続けていたり、自分自身の社会的立場が納得できなかったり、世の中から求められてないと感じている人が「男性優位仮説」にしがみつくと思っているのです。

 DVの父親には、「男性優位仮説」の人が多いと思います。男性である俺を立てないとか、男性である俺の言うことを聞かない、男性である俺に逆らう、というようなことが許せなくて、女性や子供に暴力をふるうのです。

 アメリカで、ただ白人であるだけで自己の優位を主張する人々を「白人至上主義者」と呼びます。自慢することが「白人であること」しかない人です。日本人であるというだけで海外の人を差別する人を「日本人至上主義者」と呼びます。自慢することが「日本人であること」しかない人です。「男性優位仮説」を強く信じている人は、「男性至上主義者」というわけです。自慢することが、「男であること」以外にない人です。

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「男性優位仮説」にポジティブな面はない