鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑)
鴻上尚史さん(撮影/写真映像部・小山幸佑)

「性暴力」「家庭内暴力」で被害者が責められる現実に悲嘆する30歳女性。周囲に打ち明けても自己責任を問われた過去に苦しむ相談者に、鴻上尚史が詳細に分析した「男性優位仮説が発動するとき」とは?

【相談210】性暴力でも、家庭内暴力でも、なぜ被害者の側が責められるのでしょうか(30歳 女性 こまち)

 こんにちは。いつも、回答を読んでハッとさせられて、自分にはない柔らかい考え方をたくさん学ばせて頂いています。

 私の悩みは、なぜ、暴力の被害者は責められるのか、ということです。

 私事になりますが、私の父はいわゆるDVをする人で、夫も、タイプは違うのですが、やはり手が出る人です。

 夫とは、更生カウンセリングに共に通って、繰り返さないよう2人で取り組んでいます。

 その中で、今まで、そして今も、暴力そのもの以上に苦しんでいることが、周りの人の言葉です。

 学生時代の担任、義理の家族、友人など、もちろん全てを話すわけではありませんが、身体的・心理的に暴力を受けていることを打ち明けたことがありました。

 でも、そこまで追い詰めるあなたにも原因があるんじゃないか、とか、暴力にだって理由があるはず、とか、でも家族なんだから、とか、それでも元気そうじゃない、とか。

他にも、自己責任、自立して気にしなければ良い、など、色々なことを言われてきました。

 その度に深く傷つき、打ち明けた自分が馬鹿だったと後悔します。

 同じようなことが、性暴力でも、家庭内暴力でも、それを公表した人に向けられているのを見て、歯痒く思います。

 私としては、どんな理由があろうとも、被害を受けた人はまずケアされるべきだと思いますし、時間が経てば経つほど、自分がされたことへの納得がいかず、怒りに囚われることがある、というのも身をもって知っています。

 だから、被害を疑ったり、軽視したり、被害者を誹謗したりする人の気持ちが、理解出来ません。なぜなのでしょうか。

 ただ単に、暴力とは無縁で生きてきて、痛みが想像できないのでしょうか。

 被害者にも非があるはずと思うことで、自分とは関わりがない、対岸の火事だと思いたいのでしょうか。

 それとも、私の考えの方が、被害妄想的なのでしょうか。

 鴻上さんのお考えをぜひ伺ってみたいです。

著者プロフィールを見る
鴻上尚史

鴻上尚史

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。現在は、「KOKAMI@network」と「虚構の劇団」を中心に脚本、演出を手掛ける。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる 』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、また本連載を書籍にした『鴻上尚史のほがらか人生相談~息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』がある。Twitter(@KOKAMIShoji)も随時更新中

鴻上尚史の記事一覧はこちら
次のページ
鴻上さんの答えは?