長嶋監督時代の77年6月24日の広島戦では、4点をリードされた7回無死、山本が右中間席に追撃の一発を放った直後、2人目の代打として登場した淡口も、高橋里志から右越えソロを記録し、NPB史上初の代打連続ホームランの快挙を達成した。
76年10月12日の阪神戦ではNPB史上700号目となる満塁本塁打を記録するなど、優勝がかかった大事な試合でも勝負強さを発揮した淡口は、83年にプロ13年目にして初めて規定打席に到達している。
“3度目の正直”で晴れてヒーローになったのが、90年代に吉村禎章とともに左の代打として活躍した福王昭仁だ。
最初の不運に泣いたのは、96年5月10日の阪神戦。7対8で迎えた9回2死、代打としてシーズン初打席に立った福王は、「アウト(最後の打者)になるのは嫌だから、何も考えずに打った」という無心のひと振りが、起死回生の中越え同点ソロを生んだ。
ところが、その裏、押し出し四球で痛恨のサヨナラ負けを喫し、同点弾も空砲に終わってしまう。
2度目の不運は、7月28日の阪神戦。2対2の延長15回、代打・福王は竹内昌也から決勝ソロを放ったが、その裏、守護神・マリオが5連打を浴び、3対4と悪夢の逆転サヨナラ負け……。これには長嶋監督も「福王の“アレ”で逃げ切れなかったな」とガックリだった。
そして、8月29日の広島戦、この日7番セカンドで先発出場した福王は、2対2の延長10回、佐々岡真司の144キロ外角直球を右中間の深いところまで運ぶ3号ソロ。ガッツポーズしながらダイヤモンドを1周してベンチに戻ってくると、「2度あることは3度ある」とナインに冷やかされたが、今度は3度目の正直で勝利のヒーローに。長嶋監督も「2回渡せなかった監督賞をやっと渡せるな」と破顔一笑した。
さらに最大11・5ゲーム差からの“メーク・ミラクルV”を射程圏にとらえた9月14日のヤクルト戦でも、福王は0対0の9回1死満塁のチャンスに代打で登場し、値千金のサヨナラ押し出し四球を選んでいる。