今季で球団創設90周年を迎える巨人。長い歴史の中で、ONはじめ、数多くのスターを輩出しているが、その一方で、脇役ながら、ひと振りでチームの勝利に貢献した“代打の神様”たちも存在した。
【写真】漫画のような幕切れ!巨人ファンが涙した 「奇跡的サヨナラ弾」といえばこちら
巨人のV9時代、長嶋茂雄の代打に起用されたエピソードで知られるのが、森永勝也だ。
広島時代の1962年に首位打者を獲得したベテランは、67年5月27日の中日戦、2対5とリードされた9回2死一塁、3番・長嶋に代わって打席に立った。
同年の長嶋は5月の月間打率.181と絶不調。川上哲治監督も「いくら大打者とはいえ、今不調のバッターには、好調な打者を(代打で)出したほうがいい」と英断を下した。長嶋に代打が送られるのは、巨人入団以来、初めての珍事だった。
森永は5月24日の広島戦、同26日の中日戦と2試合連続代打安打を記録していたが、長嶋の代役というまさかの事態は、「僕の野球人生の中で最高の緊迫感だった」という。
そんな緊張度マックスの打席で、森永は見事、板東英二から右前安打を放つ。そして、翌28日の中日戦でも4試合連続となる代打安打を記録し、「モリさん、いい仕事をするねえ。誰にでもできることじゃない」と長嶋を脱帽させている。
相手投手の投球を待つ間にキュッキュッと小刻みに尻を振るユニークな“ケツ振り打法”から火の出るような当たりを連発したのが、淡口憲治だ。
「バットスイングのレベルはすでに1軍レベル」と川上監督に認められ、高卒1年目の71年から1軍出場をはたしたが、当時の巨人はレギュラー陣が充実していたため、高校(三田学園)の1年先輩の山本功児や柳田俊郎(真宏)、原田治明とともに“左の代打カルテット”を構成。いずれも他球団なら主軸を打てる実力者揃いだった。
そんな激しい競争のなか、淡口は3番目の代打から2番目の代打、さらには代打の切り札へと、“代打の序列の階段”を着実に上がっていく。「たった1度のチャンスで必ず結果を出して、代打の序列をひとつずつ上がっていくしかありません。そうやってようやく切り札として認めてもらえたあとに、初めてレギュラーの座が見えてくるんです」(宇都宮ミゲル著「一球の記憶」 朝日新聞出版)。