日本史上、叙上の三つの武家の権力は十二世紀末の源頼朝の開府以降、約七百年にわたって存続した。この期間、天皇(朝廷)も存在し続けた。一国二制度ともいうべき二つの権力体は、相互に規定し合い、所与のものとして近代以前を規定した。天皇は十三世紀の承久の乱(後鳥羽上皇による武家打倒の戦い)と元弘・建武の乱(後醍醐天皇による武家打倒の戦い)で王威への抵抗勢力に対し、自己主張をなした。しかし、天皇・朝廷の権力は、主旋律とはなり得ず近代をむかえた。『愚管抄』は前者の承久の乱における公武の関係を論じ、『神皇正統記』は後者の元弘・建武の乱から南北朝動乱期の公武関係を語ったものだ。両者は程度の差はあるにしても、ともどもが武家の存在を否定したものではなく、それを是認したうえでの権力構想が伝えられていた。

 そして、三大史書の最後に位置する『読史余論』では、主旋律として武家を前面に展開させているが、その根底にある天皇・朝廷への視線にも、留意されるべきだろう。

天皇権力と「九変」史観

「本朝天下ノ大勢、九変シテ武家の代トナリ、武家ノ代マタ五変シテ、当代ニオヨブ総論ノ事」で始まる『読史余論』の冒頭には、その歴史観が要約されている。そこには大きく二つの旋律が貫流していることがわかる。一つは、「一変」から「九変」までの天皇の流れ「本朝大勢の九変観」である。そこには天皇権力の推移が俯瞰されている。そして二つは武家を主軸とした「五変」までの流れ「当代に及ぶ五変観」が語られる。

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朝廷内部の権力上の矛盾