鎌倉幕府の開府から江戸幕府の終焉まで、七百年におよび続いた武家政権。天皇政権から武家政権への移り変わりは、江戸時代から現代まで通説として定着しているが、その根底になるのが新井白石の「九変五変」観だ。日本中世史の歴史学者、関幸彦氏の著書『武家か天皇か 中世の選択』(朝日選書)から一部を抜粋、再編集して解説する。
【写真】「天皇と武家の二重奏が、日本国の権力的特色を演出」 日本人の通史の概念を固定化した「九変五変」とは
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『読史余論』を読みなおす
前近代の政治権力の推移に着目すれば、通史的枠組みは江戸期の新井白石『読史余論』(注1)により定立したとされる。権力の推移を整理するにあたり、改めて『読史余論』に注目しながら、武家や天皇の織りなす画期について考えておこう。「九変五変」観とも呼称されているが、白石の念頭には武家支配の正当性を是とする主張がある。その点からすれば、伝統的存在としての天皇あるいは朝廷の“始末のつけ方”が提示されている。武家と天皇という背理する二つの権力体の統合を、どう整理するかがテーマともいえる。これ以前、慈円の『愚管抄』(鎌倉初期、仏教的道理思想にもとづき、公武の推移を説明した)や北畠親房の『神皇正統記』(南北朝期に南朝の正統性を論じた史書)でも、武家と天皇の権力構図は問題とされた。この二作品と、当該の『読史余論』を含め、この三者は史論の雄とされる。これらの書物は「鎌倉」「室町」「江戸」という三つの幕府(武家)権力との関係性が、天皇を視野に語られているところが共通する。